50メートル走5秒9、遠投100メートル。高校通算21本塁打と、バランスの取れた選手だ。高卒プロを目指す上ではさまざまな壁があったが、努力で乗り越えてきた。 取材・文・写真=沢井史 
コロナ禍で苦しんだ時期もあったが、強い精神力で乗り越えてきた
平田大樹の名が近畿圏の高校野球界にとどろくようになったのは、今夏の滋賀大会だ。四番打者として迎えた日野高との1回戦でやや甘く入ったストレートをとらえ、ライナー性の当たりを右翼席へ運んだ。視察したNPB9球団16人のスカウトの前で、持ち味を存分にアピールした。
最後の夏へ向けて順風満帆に成長を遂げてきたわけではない。瀬田工高では1年秋から背番号8を着け、強肩の外野手としてだけでなく、鋭いスイングで広角に打球を飛ばし、先輩に劣らぬ身体能力の高さを見せていた。中学時代は内野手の控えだったが、地元で父の母校でもある瀬田工高に進学。高校入学後、小椋和也監督に外野手転向を勧められた。もともと地肩は強いほうだったが「中学生のときは体が大きいほうでもなく、イップス気味だったスローイングに自信がなかった」と明かす。外野の練習を始めると送球が徐々に安定。今では「外野のほうが合っているかも」と思えるまでになった。
守備力と同時に打撃力も磨かれ、2年夏には四番に座った。新チームとなった秋からは攻撃の軸となるはずだったが、県大会中に新型コロナウイルスに感染。一時は高熱で寝込んだが、近畿大会直前にようやく、練習を再開した。1回戦で履正社高に敗退した後も練習をしていたが、体調は一進一退をたどった。寝ているときに症状はないものの、体を動かそうとすると頭痛や吐き気などが出る後遺症に悩まされ、年が明けた2月には髄膜炎も発症。入院も余儀なくされた。体力もなくなり、体重は10kg近く落ちた。「今、ピチピチで着ているユニフォームが、当時はダボダボになるほど」だったという。
春には徐々に体調は回復し・・・
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