西条高は1959年夏の甲子園優勝、2009年には秋山拓巳(元阪神)を擁し春夏甲子園出場。同夏以降、全国舞台から遠ざかる。市民から絶大な支持を集める同校に注目左腕が現れた。成長過程に迫る。 取材・文=寺下友徳 写真=BBM 
全国制覇を遂げた1959年夏の記念石碑の前でポーズ。地元を活気づけるために、投げ続ける覚悟ができている
地元の名門校進学の経緯
「西条といえば(石鎚山の伏流水である)うちむき水と(毎年10月開催の)西条祭り。水は水道水のような匂いもなくて本当においしいし、僕自身は中学時代の祭り経験はコロナ禍で1回だけ、高校時代は野球部合宿があるので参加していないですけど、盛り上がりますね」
こう雄弁に「西条愛」を語る宇佐美球児にはもう一つ、こよなく愛する場所がある。それは阪神・
藤川球児監督が名前の由来であり「高校球児」のあこがれの場所、阪神甲子園球場である。
幼少期には春夏欠かさず、家族旅行を兼ね聖地で高校球児の一投一打に接してきた。2015年夏、東海大相模高(神奈川)が優勝した決勝では
小笠原慎之介(ナショナルズ)の快投に、同じ左腕として羨望のまなざしを送っている。
小、中学ともに全国大会出場を果たすなど順調な成長を遂げ、進路に注目が集まった。西条南中3年の秋、大型左腕が選択したのは「西条から甲子園」だった。
西条北中から高知高に越境入学し2度センバツでマウンドを踏むことになる1学年上の平悠真(龍谷大)に「うらやましい」と素直な感情を抱きつつも「あえて地元で勝負しようと思った」と地元の名門・西条高への進学を決断した。宇佐美は早くも1年夏の愛媛大会から登板を果たすと、1年秋からは・・・
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