76年日本シリーズで山田が王のバットを真っ二つ。これが強さを象徴
1975~78年は、阪急が日本のプロ野球の大主役だった。75年に初の日本一に輝くと、76、77年と日本シリーズで、
巨人を連破、
西本幸雄監督時代からの積年のウラミ(67~69年、71~72年と日本シリーズで巨人に五たび挑み、すべてはね返された)をようやく晴らした。
78年はパ・リーグ初の4連覇。日本シリーズでは、
ヤクルトに3勝4敗で敗れたが、第7戦、阪急・
上田利治監督が、ヤクルト・
大杉勝男内野手の左翼ポールはるか上を通過したホームランを「ファウルだ!」と抗議、1時間19分も試合を中断させたことで、ここでも大主役となってしまった。
いまだに78年の日本シリーズは、ヤクルトの日本一より先にこちらの方が思い出されるという常識外れのあまりにも長すぎた抗議。そこには、上田監督は否定しただろうが「ヤクルトごときに敗れてたまるか」の覇者・阪急の矜持のようなものが、潜在意識としてあったのではないだろうか。それほど阪急の強さは、誰もが認める(もちろん阪急の指揮官がそれを一番認めていた)ところだった。
阪急のエース・
山田久志は、それまでの巨人との日本シリーズでは1勝もできなかったが、75年の
広島とのシリーズでようやく1勝(第2戦、5対1の完投勝利)。「これほどうれしいことはなかった」と語っているが、ほかの選手は違った。
外野手の
福本豊は「広島には・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン