近鉄バファローズの一時代を築き、近鉄一筋だった強肩強打の捕手・梨田昌孝氏と、トップバッターとして盗塁王4度の俊足巧打の二塁手・大石大二郎氏が「プロ野球チームをつくろう!」に登場。近鉄時代の話はもちろん、監督時代に戦った話などを語っていただいた。 08年の途中から大石代理監督になって、なんか不思議な因縁やなと思った ――まず、「プロ野球チームをつくろう!」を見ていただいていかがでしたか。
梨田 選手がレベルアップしていくというのは非常に面白いですね。
大石 僕も昔のゲームはやったことがありますが、このゲームはリアリティがあり面白そうだなと感じました。一度やってみたいなという気持ちになるゲームです。
――お二人ともに監督と二軍監督を経験されています。二軍監督では個々の選手をレベルアップすることはやりがいがあると思いますが。
梨田 面白かったですね。野球はある程度分かっていても、プロのタイミングや細かいサインが分からずに悩んでいる選手もいますし、性格的に団体生活に向かない選手、どんどん成長していく選手。いろいろな人がいました。
大石 そうですね。コーチや球団関係者と「この選手は1年間、こういう育て方をしよう」と一人一人、方向性を決めるミーティングをするんですよ。でも、伸びる性格、伸びない性格の選手と分かれるですよね。
梨田 そうだね。
大石 こちらで決めた方向性を理解できてない選手は難しいものがありました。
――やりがいもあるが、苦労される部分もあるんですね。影響を受けた監督はどなたですか。
梨田 西本(幸雄)さんと仰木(彬)さんが大きいですね。
大石 僕は仰木さんが大きいですね。西本さんとは1年しかプレーしてないんですよ(81年)。その時、先輩に昔は怖かったと言われてましたが、その面影はなかったですね。
梨田 だんだん、おじいちゃんになってきてましたから(笑)。僕らが若い時は血気盛んでね。いまは体罰はいけないですが、当時はバンバン叩いてましたから。
大石 そういう話はよく聞きました。
梨田 ジャンボ仲根(
仲根正広=193㎝)を西本さん(171㎝)が、ジャンプして叩いてたのを憶えてますよ。怒られているシーンだけど滑稽でね(笑)。笑いをこらえるのが大変だった。強いチームを作ろうと熱い人でしたね。
大石 仰木さんは自分でコツコツと資料を作っていた監督でした。3年ぐらいの記録をまとめて、それで打順を決めたり、投手のスタミナ傾向を見て、5回途中で勝っていても、情勢が悪くなったらスパッと代える。それを見て、こういう采配はありだなと感じて、僕も監督の時は似たような采配をしましたね。
――08年、梨田さんが
日本ハムの監督となり、その年の途中で、
オリックスの大石さんが、コリンズ監督の後を受け、代理監督となりました。お互い意識したことはあるんでしょうか。
梨田 僕は近鉄の第16代監督で、次は多分、大ちゃん(大石)がやるはずだったんですけど、04年に合併で近鉄が消滅。でも08年の途中から代理監督になって、なんか不思議な因縁やなと思ったし、こうやって戦うのもいいかなと。あの時のオリックスは勢いがあって、ものすごく強かった。代理だからあまり責任がないのかなと(笑)。
大石 オールスター明けには代理が取れたんですけどね。僕は自分のところの選手のデータを集めることに精一杯で、梨田監督を意識する時間はなかったですね。
梨田 オリックスが2位で日本ハムが3位。
――それでクライマックスシリーズ(京セラドーム大阪)の直接対決になるのですね。
梨田 第1戦が
ダルビッシュ有、第2戦が
武田勝で連勝しました。
大石 うちは第1戦が近藤(一樹)で、第2戦が小松(聖)。小松のお陰でシーズンは2位になったし、第2戦は取りにいってました。
梨田 小松は手をつけられないぐらい良かったからね。多分、ダルビッシュにはぶつけてこないだろうと見てました。
大石 僕は第3戦勝負を考えていました。近藤は大物食いのところもあるので、もしかしたら相手がダルビッシュでも先勝できるかもしれないと思ったし、負けても第2戦の小松で勝って第3戦で勝負しようと。
梨田 第3戦は多分、
スウィーニーが先発予定だったかな。
大石 第3戦は……憶えてないです。誰やったかな(笑)。
10.19はやっている自分たちが感動しちゃってました ――さて近鉄時代の話ですが、88年の後半に驚異的な追い上げを見せ、10月19日、
ロッテとのダブルヘッダー(川崎)に連勝すれば逆転V。第1試合は4対3で勝ちましたが、第2戦は引き分けて優勝を逃しました。いわゆる「10.19」です。
大石 最後はダブルヘッダー2度を含む15連戦(13日間)だったんですよね。
梨田 前半雨で相当流したからね。それにしてもその連戦はすごかったね。
大石 近鉄は乗っちゃうタイプなんで、間に1日空いちゃうとダメだったかもしれない。連戦で良かったのでしょうね。
梨田 そう、乗ったら乗るチーム。残り4試合で3つ勝てば優勝というところでの阪急戦で、石嶺(和彦)に2ランを打たれて1対2で負けた。8回に一死一、三塁で僕が代打で三振して点を取れなかった。あの敗戦がめちゃくちゃ痛かった。「10.19」がクローズアップされて、誰も触れない試合ですが。
大石 その時はしんどいなと思いました。
梨田 残りはロッテとの3連戦。でも近鉄はロッテには強かったんで、1戦目を大勝(12対1)していけるんじゃないかなと思った。
――大勝の翌日のダブルヘッダーの第1試合の9回、梨田さんが勝ち越しのタイムリーを放って、その試合は4対3で勝利しました。
大石 これで次の試合もいけると思いましたけどね。
梨田 なんか不思議な1日だったね。第1試合の9回、二塁ランナー・
佐藤純一で、
鈴木貴久がライト前に打って、最初、三塁コーチの滝内(弥瑞生)さんが手をグルグル回していたのに急に止めて、佐藤が三本間で止まってアウト。その後、泣いてるんですよ。
大石 あれは可哀想だったですね。
梨田 それで僕が打って、二塁に進んでいた鈴木が還って勝ち越した。この勢いだったら2試合目も勝てるなと思ってましたけど、やっぱりみんな緊張してたんかな。
大石 緊張しない方がおかしいですよ。でも試合になれば集中したので、緊張はなかったですけどね。
梨田 野手はね。でも投手、阿波野(秀幸)、吉井(理人)は限界だったな。
大石 阿波野はちょっと可哀想だったですね。
梨田 投手コーチの権藤(博)さんが1試合(第1試合の先発)しか投げさせないと言ってたんですけどね。この展開では使わないわけにはいかないと言って仰木さんが第2試合でもリリーフで使った。真相は定かではないんですが。
――第2試合は7回と8回に2度勝ち越しました。
梨田 ブライアント(8回)が一発を打った時は絶対に勝ったと思ったですよ。
――ベンチの盛り上がりもすごかったですよね。
大石 ファンの方がすごく熱狂して見てくれてたというのもうなずけますよね。やっている自分たちが感動しちゃってましたから。「野球をやってて良かったなあ」という試合をやれているという自覚がありましたから。
梨田 そうだな。普段打たない真喜志(康永)、吹石(徳一)が本塁打(ともに7回)を打つんだから。普段はガラガラのことが多い球場なのに超満員でね。
大石 ビックリしましたよ。
梨田 パ・リーグでもこんな試合ができるんだと思ってね。
大石 僕は普段あまり観客席は見ないんですよ。フッと見たら、この球場がこんなにいっぱいになるんだ、と驚いたことを憶えてます。
梨田 9割ぐらいは近鉄ファンじゃなかったですかね。嬉しかったですね。急遽テレビ中継が入り、ニュースでもリレー中継して、50%ぐらいの視聴率があった。パ・リーグをこんなに取り上げてくれるなんて、パ・リーグも捨てたもんじゃないと思いましたね。
――いまとは違ってパ・リーグは取り上げられなかった時代ですよね。
梨田 情けないぐらいに。79、80年に近鉄と
広島が2年連続で日本シリーズを戦ったんですが、2年目はマスコミの方が「またやるの」という感じで。
――そんな中、79年は「江夏の21球」、88年の「10.19」とドラマ性は十分でしたよね。
梨田 サポート役だよね(笑)。
――でも、翌89年はブライアントの4連発で逆転優勝をしました。
梨田 僕は引退してワールドシリーズの解説に行こうという時、ブライアントの4連発で、「よしっ」と思ったら、日本シリーズ(
巨人戦)で3連勝4連敗するし(笑)。
大石 僕はこの日本シリーズ、一番打者でヒットを2本しか打てなかった。
梨田 あっ、そうか。
大石 東京ドームの試合の時に上山善紀オーナー代行が来て「お前、もうちょっと打てよ」と言われたんですよ。第1戦に初回先頭打者本塁打を打って、次に打ったのは第7戦の本塁打。その2本だけでしたから。でもあんなこと(3連勝4連敗)があるんですね。本当に恐ろしい。
加藤哲郎が、多分言ってないと思うんですけど……。記者の方が「巨人はロッテより弱い」と脚色して書いたと思うんですよ。でも加藤が言ったニュアンスに近いものは、みんな感じていたと思います。巨人はちょっと弱いなと。油断が出たんでしょうかね。一つの勝ち、一つの負けでガラッと変わっちゃいましたね。
梨田 短期決戦の怖さはあるよね。09年のクライマックスシリーズで
楽天が
ソフトバンクに岩隈(久志)、田中(将大)が完投して連勝。それで札幌ドームに乗り込んできた。勢いは完全に楽天で、唯一、楽天のリリーフ陣が何日も登板してなかったことが、日本ハムのプラス材料だった。結局、4対8から9回裏にタイムリー、最後は
スレッジの逆転満塁サヨナラ本塁打で大逆転をするけど、楽天のリリーフ陣が案の定、四球を出したりと、散々だった。最終回に反撃できずにあっさり負けていたら、岩隈、田中が控えている楽天が勝っていたと思いますね。
――「逆転満塁サヨナラ本塁打」と言えば、近鉄最後のリーグ優勝、01年はそれに「代打」もついた劇的な胴上げ本塁打でした。
梨田 あの年は、開幕戦は初回にいきなり5点を取られて、それでも10対9で逆転勝ちしたり、オールスター前のロッテ戦で、4対9と負けていた9回、調整登板で出てきた抑えの
小林雅英を打ち崩して8点を取って逆転したりとすごいことが多かった。9月にダイエー、
西武の三つ巴になり、西武戦で4対6の9回裏に1点取って、
中村紀洋が松坂(大輔)から逆転2ラン。これで優勝は決まったかなと。それで最後は北川(博敏)が満塁弾を打って優勝でしょう。筋書きのないドラマがあったね。
大石 勝つ時は結構そんなもんですよね。
――その3年後の04年にオリックスとの合併が決まり、「近鉄」は消滅しました。
梨田 6月13日の新聞に載って、ビックリしましたよ。新聞に載ったということは信憑性はあるんだろうなと。まず球団譲渡ではなく、なんで合併なんだろうということでしたね。一時はライブドアが名乗りを上げて、球団譲渡だったらいいなと思ったんですけどね。結局、対等合併でもなく吸収合併になってしまって。
大石 何年か前からあった話なんでしょうね。球団譲渡だったらOBの居所があるんですけど。近鉄のOBは一応、阪急、オリックスの中に入ってますけど、あまり関係ないですもんね。
梨田 近鉄OBははぐれ者ですよ。ふるさとがないようなもんで。
大石 当時はホントにショックだったですね。いまはもう、時代の流れだからしょうがないのかなと感じてます。
――その球界再編をきっかけにパ・リーグは盛り上がってきました。
梨田 日本ハムが04年に北海道に行き、仙台に新しく楽天ができ、地域のバランスがすごく良くなりましたよね。このまま、盛り上がっていってほしいですね。
大石 そうあってほしいですね。
PROFILE 梨田昌孝/なしだ・まさたか◎1953年8月4日、島根県浜田市出身。浜田高3年の春夏に甲子園出場。ドラフト2位で72年に近鉄に入団。2年目から頭角を現し、79~81年はベストナイン&ダイヤモンドグラブ賞を獲得。79~80年の連覇に貢献。バッティングは独特の「コンニャク打法」で勝負強さもあった。88年限りで引退。96年から二軍監督、00年から近鉄の最終年の04年まで監督。08年からは日本ハムの監督を務め、両球団でリーグ優勝を経験している。通算成績は1323試合、874安打、113本塁打、439打点、打率.254。 PROFILE 大石大二郎/おおいし・だいじろう◎1958年10月20日、静岡県静岡市出身。静岡商高の2年夏、3年春に甲子園出場。亜大に進学し、ドラフト3位で81年に近鉄に入団。2年目に二塁のレギュラーを獲得し新人王に輝く。3年目には13年連続盗塁王の福本豊を抑え、60個で初の盗塁王。計4度の盗塁王を獲得した。97年限りで引退。03年から近鉄、05年からオリックスの指導者となったが、08年途中でコリンズ監督退任の後を受け指揮をとり09年まで務めた。通算成績は1892試合、1824安打、148本塁打、654打点、415盗塁、打率.274。 アプリ情報 株式会社セガ
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日本野球機構承認 NPB BISプロ野球公式記録使用