阪神の守護神として1985年の優勝に大きく貢献した中西清起氏。1球にすべてを懸けてきた野球人生で、いまでもはっきりと記憶に残る、大試合と苦い思い出の2試合を熱く語った。 構成=椎屋博幸、写真=BBM 記憶のない9回、震えた10回 / 1985年10月16日 阪神-ヤクルト[神宮]
1985年10月16日、試合前の神宮球場は、異様な雰囲気に包まれていた。外野席前列に警備員が立つほどの警戒ぶりで、球場は黄色一色に染まっていた。この試合に勝てば、阪神の21年ぶりのリーグ優勝が決まる。その期待の中で試合開始となったが、選手たちは引き分けでも優勝になるとは思っていなかった。 
神宮には阪神の21年ぶりの優勝を見ようと多くの虎ファンが詰めかけた。あまりの熱狂ぶりに外野前列には警備員が配置された
この日、神宮は「ここで決めないとファンに申し訳ないな」と思うくらいのものすごい熱気でした。もちろんチームにもこの試合で決めるぞ、という雰囲気はありました。でも8回まで3対5で負けていた。9回表に掛布(雅之二軍監督)さんがポール直撃のホームランを打って1点差に。続く岡田(彰布)さんが二塁打を放って、北村(照文)さんが送りバント。ここで佐野(仙好)さんがレフトに犠牲フライを打って同点。そして9回裏。ここで僕がマウンドに上がるんですが、まったく緊張せず淡々と抑えたという感じです。内容は、ショートゴロに三振、三振ですか?覚えてないですねえ、このイニングの細かいことは。
でも、ベンチに帰ると、マネジャーが調べて「引き分けでも優勝」ということが分かったんですよ。僕はそこから「次の回は、打たれたらやばい」とベンチの中で、めちゃくちゃ緊張し始め、10回、マウンドに上がったら、小刻みに足が波を打っていました。マウンドでは緊張をほぐすために、周りをゆっくりとぐるぐる歩いてみたり、やたらとロジンを触ってみたりと何とか心を落ち着かせようとしていました。「ここで打たれると、阪神の優勝を見に来ているファンをオレは全部敵に回してしまう」という恐怖感もありましたから(笑)。
緊張の中でも10回の3人の打者の内容はよく覚えています・・・
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