自分で選んだ道ではなかった。それでも、やることは、貫き通す信念は変わらない。突然、伝えられた移籍に心は揺れたが、今はこれまでと変わらず、ただチームの勝利のみを見つめる日々だ。これまで、どれほどの苦難に直面しても、貫き通す信念があった。やる場所が変わっても、そこで全力を尽くす思いだけは変わることはない。 文=為田聡史(日刊スポーツ) 写真=井田新輔、高塩隆 今オフの帰省中だった。実家がある大分で家族だんらんの時間を過ごしていた
脇谷亮太の携帯電話が鳴った。「電話に出る前にそういうことなんだなと分かった」。
巨人にFA移籍した片岡の人的補償として
西武が脇谷を指名したとの連絡だった。「うれしいって心の底から言えるかといえば、ウソになるかもしれない。もちろん、自分を育ててくれたジャイアンツへの愛着もあったので寂しさはあった。でも、自分を必要としてくれたということは、選手としてうれしいこと。シンプルにそれだけですよ」
簡単に心の整理がつくようなことでもない。ただ、考える時間もなければ、当然ながら選択の余地もなかった。西武の編成担当者からは「トレードのつもりで来てほしい」と言われた。さらに用意された背番号はかつて、
松井稼頭央らが背負った「7」。内野手のエース番号だった。「自分には重過ぎる番号だったので『ほかの番号はないですか?』と聞こうと思ったよ」と、笑いながら当時の心境を明かした。
順調なキャリアを襲った苦難 2006年大学・社会人ドラフト5巡目で巨人に入団・・・
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