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野球浪漫2016

ヤクルト・村中恭兵 ドン底の1年から野球人生を懸けたマウンドへ

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ゼロからのスタート、そして訪れた転機と変化


 ふさぎ込む村中を、二軍投手コーチとして見ていたのが石井弘寿だった。同じ速球派左腕として村中が入団以来あこがれと公言し、投球映像のビデオをおねだりするなど「マネばかりしていた」と語る10歳上の兄貴分である。彼もまた肩の故障などで曲折の大きな現役人生を送った1人だった。「彼には周囲からの期待という重圧があった中で、自分の考えていることが体現できない。それが焦り、戸惑いになって、自分を信じられなくなっていた」。石井と成本年秀二軍投手コーチは、村中にゼロベースで現状に向き合うことを勧めた。崩れてしまった土台は、また1から小さな石を積み上げていけばいいと。

 打者に向かって投げる。その基本的動作を取り戻すための取り組みは、地道を極めた。投球練習は本来の約半分となる10メートルの距離からスタート。打席に人を立たせ、その前には防球ネットを置いて投球が当たらないようにした。そこから段階的に距離を10メートル、15メートルと伸ばし、ネットも少しずつ打者役を覆う面積を減らしていく。

「自分の恐怖心というものを取り除くために、低いハードルから始めて。そこから段々距離を離していって、ネットもちょっとだけ打者が出るようにして投げるとか。本当にずっと、そんな練習を延々とやっていた」

 気付けば4カ月以上が過ぎ、スポットライトを浴びることのないまま村中は2015年シーズンを終えた。一軍首脳陣が帯同する松山市での秋季キャンプには呼ばれず、オフにはドラフト1位入団から10年間背負ってきた背番号15の剥奪も告げられた。最後通告――。それでも村中自身に悲壮感はなかった。

「何というか、来年野球ができるのかというところで戦っていた。だから、1年目みたいに43番でやるという気持ちになれた」

 ちょうどそのころ、暗闇を探すようだった反復練習にも光が差し始めていた・・・

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