プロ1年目で正捕手のポジションに就き、CSの大舞台も経験。2年目の今シーズンは、引き続き投手陣をけん引するとともに、バットでも投手を助け、チームの勝利に貢献。社会人3年を経て入団したオールドルーキーの野球人生を振り返る。 写真=BBM 高校で投手は断念。三塁手を経て捕手に転向
割れんばかりの大歓声が降り注いだ。主人公は本拠地・横浜スタジアムのお立ち台でそれを浴び、しかし厳しい表情を崩さなかった。
「必死に食らいついた。もう、必死です」 戸柱恭孝が輝いたのは6月4日の
ソフトバンク戦。1点を追う6回二死満塁だった。相手はWBCでオールスターチームにも選ばれ、日本を代表する右腕の
千賀滉大。1ボール2ストライクから決め球のフォークをファウルにし、最後は直球を中前へ落とした。逆転の2点適時打。チームの連敗を4で、そしてソフトバンク戦の連敗も7で止めた。
「みんなのおかげです」。プロ2年目ですっかり正捕手の座を射止めても、常に謙虚さを忘れない好漢。
「僕は本当にノーマークの選手でしたから」と昔を懐かしみ、コワモテの表情を崩した。

6月4日のソフトバンク戦[横浜]では6回裏に難敵・千賀滉大から値千金の逆転タイムリーで試合を決めた。試合後は駒大の後輩左腕、今永昇太[右]とお立ち台に上った/写真=松岡昌平
鹿児島県肝属郡内之浦町の出身。戸柱家にはいつも白いソフトボールが転がっていた。地元では軟式野球より盛んだったスポーツ。野球経験のある父・浩一郎さんの手を握り、幼稚園で初めて触れた。母・弘美さん、兄・新太郎さんもかつて選手だったというスポーツ一家。小学1年から本格的に初め、才能を開花させるのに時間はかかならかった。
「毎日が楽しかったです。野球を始めたという意味では、兄の影響が一番でしょうね。そういう恵まれた環境で生まれ育った。感謝しなければいけないですよね」 中学1年から地元の軟式野球チームに入り、3年間はずっとエースで四番。絶対的な存在として周囲から信頼され
「ピッチャーでプロ野球選手になりたい」と大きな夢を抱くようになった。
まったくの無名を自覚しながら、確かな成長曲線を描いていた。硬球に握り替えた地元の鹿屋中央高。最初の働き場はマウンドだった。
「まさかでした。ショックでどうしようもなかったですね」と当時は頭を抱えるのだが、転機は1年夏にやって来た。神村学園高との練習試合に先発。自信と希望は、強力打線によってひねりつぶされた。
「初めての挫折だったかもしれません。1つのアウトも取れず、1回で交代です。7、8点取られたと思います。軟式のときは、あんなに抑えまくっていたのに……」 直球の球威は言うまでもなく、覚えて間もないカーブやスライダーも発展途上。ことごとく打ち返された。茫然自失で参加した全体ミーティング。浅野孝浩監督からはさらに、衝撃的な言葉がかけられた・・・
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