プロ入りしても、甲子園での772球がついて回った。「投げ過ぎ」との周囲の声は、嫌でも耳に入ってくる。それでもスピードの呪縛から解放され、息を吹き返した。新たな姿で輝きを取り戻した右腕に、もう迷いはない。 文=田口元義(フリーライター) 写真=高原由佳、BBM 
最後の打者を打ち取りガッツポーズ。シーズン終盤にはクローザーの役割も担った
無責任に定着したイメージ
安樂智大がマウンドに君臨する。
それは、プロで初めての舞台だった。今年10月7日の
ロッテ戦(ZOZOマリン)。1点リードの9回を託された安樂は、二塁打と四球で得点圏にランナーを背負いながらも、最後のバッター、
荻野貴司を151キロのストレートでセカンドゴロに打ち取り、接戦となったゲームを締めた。
7年目にして初セーブ。安樂にとって、その価値は大きい。
この時期の
楽天は、絶対的守護神の
松井裕樹が故障で長期離脱中だったため、9回を託される投手はいわば日替わりだった。松井の代役は
宋家豪が担うケースが多かったが、チームが優勝争いを展開するシーズン終盤でその一翼に名を連ねる。それはすなわち、
石井一久GM兼任監督をはじめとする首脳陣から信頼された証しであり、何より安樂自身の歩みが正しかったことも示していた。
開幕当初こそビハインドやロングリリーフなど、場面を問わずフル回転してきたが、6月に入るころには勝ちゲームで登板する機会が増えた。初セーブを挙げたロッテ戦の時点で52回1/3を投げ防御率1.55。シーズン58試合に投げ、3勝3敗2セーブ、25ホールドポイント、防御率2.08と、7年目にしてキャリアハイを刻んだのである。
「理想は『安樂が投げるのか……』と、相手に嫌がられるピッチャーになりたいと思っています」 プロ入りしてまだ間もないころ、安樂はそんな未来を描いていた。今シーズンのパフォーマンスは、まさに相手を落胆させるに十分ではあったが、自身の理想とは少し違う。
本来ならば安樂は、先発として投げているはずだった。
8年前。済美高の2年生エースだった安樂は、甲子園球場の中心で仁王立ちしていた。
2013年のセンバツ。初戦で152キロをたたき出し観衆の度肝を抜いたが、驚くべきはそのタフさだった。球数は準決勝まで663球。決勝戦の6回、772球目で力尽き
「最後まで投げ切りたかった」と涙したが、準優勝の立役者であることは誰もが認めた。ところが、「剛腕・安樂」の株が急上昇する一方で、アメリカメディアが「投げ過ぎだ」と報じたことで、日本でも議論が噴出。現代の高校野球の負の側面に利用されてしまったわけである。事実、夏に自己最速を更新する157キロをマークした直後の秋に右ヒジを故障すると、周囲はまたプロ注目右腕に影を落とした。
そんな他者の目線と自分を照らし合わせるように、安樂は俯瞰(ふかん)しながら話していたものである。
「野球を始めてから練習することが当たり前で、ずっとそういう環境でやってきたので、投げることにしてもウエートにしても、トレーニングしないと気持ち悪いというか不安でもあるし。高校時代にヒジを1回痛めるまではケガをしたことがなかったんですけど、そこからは気を配るようになって。ちょっとでも違和感が出たらトレーナーさんとかに診てもらったり、自分でも入念にケアをするようにはなりましたよね」 このような意識の高さとは裏腹に・・・
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