夏の甲子園優勝投手として、ドラフト1位で入団して6年が過ぎた。昨年は初めて規定投球回に到達して、大きな喜びと手応えをつかんだ。しかし、まだまだ通過点に過ぎない。相手チームのファンにとって、憎まれるくらいの実力を身につけたい。 文=土屋善文(中日スポーツ) 写真=高塩隆、榎本郁也、宮原和也 異国での大きな収穫
2019年の年の瀬。小笠原慎之介は機上の人だった。アメリカで乗り継ぎ、フライトは計17時間。行き先はドミニカ共和国。初めての海外旅行に、このカリブ海の島国を選ぶ人は、ほぼいないだろう。
「日本の野球だけじゃ勉強できないことがあるかなと思って」 チームメートだった
アルモンテや
リカルド・ナニータ、
エンニー・ロメロ、
ジョーダン・アルメンゴら同国出身の選手と親しくしてきたことも大きい。ちなみに20歳の誕生日はジョーダンに名古屋の鉄板焼き屋に招待され、人生で初めてお酒を口にした。
人口96万人が住む首都サントドミンゴに降り立つ。12月とはいえ、真夏の陽気。日本とは明らかに空気が違う。強烈な日差しを肌で感じると、少しだけ気持ちも解放される。すぐにジョーダンをはじめ“旧友”たちとも再会。彼らは小笠原のためにすぐに動いてくれた。夜は連日ウインター・リーグを見学、それまでの日中はどうしていたかと言うと……。サントドミンゴを本拠地とする「エスコヒード」というチーム練習に飛び入りで参加していた。
「ロメロに紹介してもらって、一緒に練習に交ぜてもらいました。みんなすごく楽しそうに野球するんですよ。でも実際はすごくシビア。知らない間にいなくなる選手がいる。クビになっているってことです。それだけ厳しいのに本当に楽しそうに毎日やっていて、クビになったら、それはそのときでいいやっていう感じがビンビン伝わってきました」 こんな日もあった。市内にあるオリンピック公園には野球のグラウンドがあった。年末で帰省していたマイナー・リーグの選手たちが朝から自主トレに使っていた。彼らのシート打撃に飛び入りで登板した。メジャーの卵たちを相手に腕を振った。真っすぐで差し込み、カーブで打者の体が浮くのが分かった。
「これもすごい楽しかった。チェンジアップは対戦しているうちにタイミングが合ってくるけど、カーブは打てないって言ってくれたり、真っすぐは強いから大丈夫って言われたり。この人たちに言われたらそうなのかなって。ほんと参考になった」 1週間の滞在期間はあっという間に過ぎた。これまで4年間のプロ生活で15勝21敗。東海大相模高時代に夏の甲子園で優勝投手になり、ドラフト1位でドラゴンズに入団。1年目から白星を挙げたが、その後ブレークできそうでできない日々が続いていた。こんなはずじゃない現実と、こんなはずの理想の間に心は削られていた。

2015年秋のドラフトで中日から1位指名[写真右]。色紙には「日本一の投手」と目標を書き込んだ。左は同じ東海大相模高の吉田凌[オリックス5位指名]
同国出身で、マリナーズに所属した14年に最多セーブに輝いた
フェルナンド・ロドニーから直接、聞いた言葉は刺さった。
「抑えた理由が分からないときもある。毎日が勉強だよ」
プロの世界は良かろうと悪かろうと結果を分析し、なぜそうなったかの原因を突き止め、次に生かすことの繰り返し。もちろん必要なことだが、まだ起きてもいない未来に対してばかり目を向けていた。欠けていたのは“今”をどう生きるかという視座。今を楽しむドミニカンたちの本質に触れられた気がした。
「趣味でやっていたものがプロに入って仕事になって、頭も体もカタくなっていって。もうどうなってもいいから、楽しそうにやろうと思って帰ってきました」 いつの間にか消えていった笑顔が戻ったのは・・・
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