鮮やかなブレークを遂げ、3ケタ番号から1ケタ番号へのし上がった。だが今、その背中には『59』がある。苦しんだ2年を経て臨む背水の1年。育成の星が、再び這(は)い上がる。 文=北川修斗(スポーツライター) 写真=高塩隆、BBM 出世と挫折と
3ケタ番号から這い上がってきた育成の星が、背水の陣で今季に臨んでいる。プロ入り8年目を迎えた巨人の背番号『59』は、
「今年、ダメだったら終わりだと思っている。毎日がラストチャンスだとずっと思ってやっている」と、春季キャンプのときから何度も、何度も、口にしていた。
明星大から2017年に育成ドラフト5位で入団し、2年目の18年途中に支配下契約を勝ち取ると、抜群の身体能力と、何より
原辰徳前監督からも「天才的」と評された打撃センスでみるみる頭角を現す。
5年目の21年には背番号が『59』から『31』と少し軽くなり、初となる開幕スタメンに抜てきされて最終的に一番・右翼に定着。育成出身としては最多の12本塁打、球団初の規定打席到達とブレークを果たす。そのオフ、レギュラーへの完全定着を期待され、同年限りで現役を引退した
亀井善行(現・外野守備兼走塁コーチ)が背負っていた背番号『9』を継承した。
「3ケタで入ってきて、1ケタを着けられると思っていなかった。うれしかったけど『大丈夫かな』という不安もあった」 背番号とともに背負った期待と重圧。
「1年間レギュラーで出続けて、背番号に恥じないような結果を残せるように」と自覚を持って臨んだが、もがく日々が始まることになる。
22年は開幕一軍こそ勝ち取ったものの、
グレゴリー・ポランコ(現
ロッテ)らの加入により、開幕スタメンとはならず。打撃不振も重なり、スタメン出場はわずか12試合。結局、50試合の出場で71打数8安打、打率.113と振るわず、
「何もできなかった。プレッシャーというか、守りに入ってしまって、全然自分らしくプレーできていなかった」と振り返った。
同年オフには背番号が『9』から『59』に変更。レギュラー獲得どころか、大きな期待を背負った象徴だったはずの背番号が“剥奪”される形になってしまった。契約更改後の会見では
「9番は1年間で終わってしまいました。59番は支配下になって最初にもらった番号。また、気持ち新たに、そのときの気持ちのように若々しくアグレッシブに行きたい」と、悔しさを押し殺しながら、声を絞り出した。
だが、再出発を誓った23年も、思うような成績を残すことができない。春季キャンプを二軍でスタートすると、オープン戦でも8試合で8打数2安打、打率.250とアピールならず。開幕を二軍で迎えると、4月22日にようやく一軍に昇格するも、守備からの出場や代走がメインで、先発出場の機会は一度も訪れることがないまま。21試合の出場で12打数無安打と、快音を響かせることができずに支配下6年目のシーズンを終えた。
シーズン終了後には・・・
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