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野球浪漫2024

中日・清水達也 理想と現実を受け止めて「プロでここまでできるとは思っていませんでした。今のところ、出来過ぎです」

 

小さいころから、あこがれ続けた高校があった。進学を悩んだ時期もあったが、自分の気持ちに従った。背番号1を背負って甲子園V腕となり、プロの世界へ。今の自分があるのも、あの日々があったからだ。
文=川本光憲(中日スポーツ) 写真=兼村竜介、牛島寿人、BBM

中日・清水達也


末っ子の甘えん坊


 声色、表情ははっきり覚えている。まだ小学生だった清水少年。目の前に立っていたのは花咲徳栄高の岩井隆監督だった。のちに師弟関係となるとは、お互い思っているはずもない。少年からしたら、あこがれの高校の監督。監督からしたら、近所の子どもだった。

「ファンでしたし、それよりも強いマニアでした」

 清水によると、通っていた治療院のつてで母と練習試合に足を運んだ。試合後、その治療院の関係者が岩井監督と談笑した。そして、清水の存在に触れた。

「この子、徳栄行きたいんですって」

 そのとき、少年の背筋は伸びた。

「おう、待ってるからな」

 言われたほうは、はっきり覚えているものだ。

「行きたい高校の監督ですよ。ただ、練習試合で選手を叱っているのを見ました。高校野球の監督って怖いなーって。圧がすごかったです。小さかったから、大人を見て怖く感じたところもあると思います」

 そのとき、岩井監督を作り上げる要素の一つに「怖さ」が埋め込まれた。

 埼玉県深谷市出身。農家の3番目として生まれた。両親、祖父母と6歳上の兄、4歳上の姉と暮らした。ユリやチューリップ、米や野菜を作っていた。自宅敷地には複数の作業場があり、徒歩数分のところにも別の作業場がある。トラクターなど多くの農機具が置かれていた。

 甘えん坊だった。母の車で保育園へ向かう。もう、涙があふれそうになっていた。

「保育士の方に『早く帰りたい』って泣きついたのは覚えています。困らせていましたね」

 帰ってからは兄とその友人と遊んだ。サッカーや野球に親しんだ。小学1年で軟式の藤沢小少年野球に入団。運命が動き出すきっかけは肘痛だった・・・

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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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