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DeNA・森原康平 遅咲きがつかんだボーナスステージ「あと何年できるか分からないけど、現役を終えるときには燃え尽きたい」

 

トレード移籍から早2年。ブルペンにおける存在感は日に日に増している。勝利の瞬間にマウンドに立つ姿はまさに“微笑みのクローザー”。「遅咲き」とも表現されるが、真実はひたむきに取り組み続けた結果だ。夢に見ていたボーナスステージで腕を振る姿はファンの心をつかんで離さない。
文=石塚隆 写真=高塩隆、BBM


世代の後方から


 2017年、東北楽天ゴールデンイーグルスでルーキーイヤーを迎えた森原康平は、25歳になっていた。球界の評価で言えば“オールドルーキー”と言ってもいいだろう。

「僕は遅咲きなんですよ。小学校、中学校、高校、大学、社会人時代もそうで、入ったときは周りとすごく差があるんですけど、それを頑張ってひたすら縮めていく。本当、ずっと遅咲きでしたね」

 森原はそう言うと、屈託のない笑顔を見せた。

「けど不思議と『いつかプロになれるはず』と信じていたんです。ピュアというか、馬鹿になれたというか、雑念なくやることをやっていれば、いつか届くはずだって」

 信念は岩をも貫く。あきらめず、心を折らず目標に向かうことができれば、夢をつかむことができることを森原は証明した。

 プロ8年目の今季は、DeNAで開幕からクローザーを務め、さらに33歳にして初めてオールスターゲームに出場した。森原を見ていると、選手としてのピーキングとはなにかを考えさせられる。

 時間を要したプロへの道。ターニングポイントはどこだったのかと森原に問うと、「一番大きかったのは中学のときですね」と語る。広島県福山市出身。瀬戸内海に面した温暖で風光明媚な土地で過ごした日々が、森原の礎を構築した。

「僕は小学校6年生のときから野球を始めたんですけど、中学生になったとき、強いチームでやってみたいと思い、近隣で名の知れた『神辺レッズ』というクラブチームに入団したんです」

 地元で有名な山本泰造監督が率いる神辺レッズの練習は、森原の想像を絶する厳しさだったという。

「野球を始めて1年ぐらいでルールもおぼつかない状態。基礎体力もない。なにをやらせても僕がドベでした。土日は朝6時から練習をやって試合もして、試合後は2時間のミーティング。山本監督の厳しい指導もあり、今振り返っても、肉体的にも精神的にも野球人生で一番きつかった3年間だったと思います」

 好きで始めた野球ではあったが、そこは中学生。「あまりの厳しさに何度も野球をやめたいと思いました。親と一緒に『もう野球をやめます』と山本監督に伝えたこともありましたが、親は無理やりやらすようなことはなく、自分で判断しろと言ってくれていました」

 だが、森原は野球をやめなかった。

「やめると伝えに行くたびに、山本監督から『苦しいけど、野球をやる上でここを超えたら絶対にうまくなるし伸びるはずだから頑張れ!』と激励してくれたんです。子ども心に、山本監督からは厳しさだけじゃなく愛情も感じていたので、そのたびにもう一回信じてやってみようって思えたんですよね。親もなにも言わず見守ってくれました。自分次第だったので、それが良かったのかなって思うし、ありがたかったですね。もし、あそこで野球をやめていたら、間違いなく今の僕はいなかったと思います」

 森原に才能の片鱗を見出していた山本監督は・・・

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