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野球浪漫2024

阪神・ビーズリー 思えば遠くに来たもんだ「(先発転向で)軽くというか体全体に力を入れて投げなくても、キレのいいボールが投げられるようになった」

 

8月以降の厳しい戦いの中で、もしかしたら最も安定感がある先発投手かもしれない。強力投手陣を誇る阪神に2023年リリーフの助っ人として入団。ケガもあり出遅れたことで、日本では先発として進化した。与えられた少ない登板機会で結果を残してきた。それはまさに助っ人右腕の人生そのものでもあった。
文=椎屋博幸 写真=宮原和也、BBM 通訳=藤本享也


少ないチャンスをものに


 自分を試せる「機会」を求めてきた。ジョージア州の小さな街・ライオンズで育った少年が、今や海の向こうのマウンドに立っている。20年前には考えられなかった光景の中で力強く腕を振っている。

 小さなコミュニティー(街)で育ったジェレミー・ビーズリー。日本語で言えば「田舎」と言われる場所。野球が好きな少年は、当然のようにメジャー・リーガーになる夢を描いていた。ただ、それを口に出すと、こんな田舎から……大きな夢を見過ぎだと言われてしまうような地域でもあった。

 高校を卒業し、ジョージア州ダートン・ステート・カレッジという2年制大学に進学。家庭がそこまで裕福ではなかったこともあり、2年制のカレッジからトランスファーでサウスカロライナ州の4年制公立大、クレムソン大学へ3年時に転入した。この大学は、アメリカ東部地区の名門大学の一つ。伝統があり、学力優秀で、卒業すれば就職に困るようなことはないと言われている。ビーズリーは、将来的にプロ野球選手になることも夢見ながら、ドラフトに掛からなかったときのために、この大学を卒業し学位を取得したいという思いもあった。

 クレムソン大学のスポーツチームの統一ニックネームは「タイガース」。彼が転入する1年前、タイガースはカレッジ・ベースボールで優秀な成績を収めていた。さらにグラウンドなどが改修され、最新の設備を入れたばかりということも魅力であった。

 その編入後、3年生の6月、2017年のことだった。エンゼルスからドラフト指名を受ける。MLBの場合、大学生は3年生時のドラフトで指名されることが多い。その指名後に交渉が折り合わずに、大学に残り4年生時でのドラフトを待つ選手もいるが、それはまれな例である。3年生のビーズリーは、ドラフト30位(全体895番目)と大学生にしてはかなりおそい指名。それでも交渉を進め大学4年生の卒業を待たずにプロの道に飛び込んだ。

「指名が低かったからと言って断って4年生での指名を待ったとしても、そこまでいい指名はないと思ったんだ。それと同時に、僕自身そこまで裕福な家庭で育っていないから、これまで家族に苦労をかけた分、契約すればお金を渡せると思ったからね。もちろん30位という低い指名だったので、当然そうチャンスは多くないだろう覚悟はしていた。ただその少ないチャンスをものにしてメジャーに絶対に上がろうと思っていたんだ」

 覚悟を決めて飛び込んだ先には、長距離移動などがある過酷な日々が待っていた。今でも考えると厳しい生活だったと回顧するビーズリー。しかし、それを乗り切れたのは、当時エンゼルスのマイナーを担当していた投手コーチとピッチングコーディネーターの存在があったからだった。「とにかく僕を信じてくれたんだ。エンゼルスで少ないチャンスをものにしてメジャーに上がりたいと願っていたんだ」。どんなに厳しい投球をしたとしても、批判することがなく、常に自信を持たせてくれる、モチベーションを上げる言葉を投げ掛けられた。そのおかげで、厳しいマイナー生活にも耐え、夢をかなえるための努力を続けた。

 2018年は2Aなどでプレーし、19年の開幕も2Aだったが、シーズン終盤は3Aにまで駆け上がった。このときの成績は26試合(先発25試合)で7勝7敗、防御率4.49。メジャー昇格も現実に近づいていた。だが、そのオフの1月に・・・

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