入団3年目で支配下昇格をつかんだ独立リーグ出身の27歳。高校時代は挫折も経験。スター街道からは外れる「苦労人」だ。プロ入り後もケガに泣かされるなど、険しい道のりの連続。それでも心が折れなかったのは、周囲の支えがあったからだ。感謝の気持ちは言葉とともに、プレー姿でも表現していく。 文=菊田康彦(スポーツライター) 写真=桜井ひとし、BBM 野球が怖くなった日
「ついに、この瞬間が来てしまいました……」 10月2日、神宮球場。満員札止めの大観衆が見守る前で行われた感動的なセレモニーを最後に、ヤクルトのレジェンド、
青木宣親が日米通算21年におよぶ現役生活の幕を降ろした。
この日の
広島戦、青木はかつての定位置であった一番・中堅でスタメン出場。8回は左翼、そして9回には熱心なヤクルトファンが待つ右翼へとポジションを替えたのだが、青木が左翼に移ったあとに中堅の守備に就いたのが、今年の開幕直後に支配下登録された岩田幸宏だった。
「やっと上がってきたか」
念願かなって支配下契約を結んだ3月31日。一軍に合流した岩田は、青木にあいさつをした際にそんな言葉を掛けられたことを明かした。
「ファームの(自身の)結果も見てくれてたみたいで。それは(青木に)言われました」 岩田は2021年の育成ドラフトでヤクルトに指名されて入団。新入団選手発表会で目標とする選手として青木の名前を挙げたように、自身と同じ身長175cmで、左打ちの外野手という共通点もある「燕のレジェンド」はかねてからあこがれの存在だった。
そんな選手が、まだ育成のときから自分を気にかけていてくれた──。そのことに感激し、一軍で息の長い活躍を続けて“恩返し”をすると誓った。
「(将来的に)タイトルとかそんなん獲れたらいいなとは思いますけど、やっぱり僕はノリさん(青木)みたいに長く野球を続けたいんで。一番の目標はそこですね」 恩を返すべき存在は青木のほかにもいる。最も大きな存在は、これまで自身の野球人生を支え続けてきてくれた家族である。
「野球をやらせてくれて、続けさせてくれて。好きなようにやらせてもらってきたんで、本当に感謝です」 生まれは兵庫県姫路市。兄姉との3人兄弟の末っ子として、まだ幼稚園に通っていたころから兄の影響で野球をするようになった。
「野球を練習してたっていうわけではないですけど、家でキャッチボールをしたり、ボールにはずっと触れてました。お兄ちゃんだけでなく、お姉ちゃんにも相手をしてもらってましたね」 当時の岩田にとって、4歳上で先に野球を始めていた兄は、あまりにもまぶしい存在だった。兄を超える──。それは野球をする上での大きな目標になっていた。
「兄に負けたくないっていうのは常に目標ではあったんで。超えないといけないなと思ってました」 将来はプロ野球選手になることを夢見て、高校は地元の名門・東洋大姫路高に進むも・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン