高校1年冬の捕手転向がプロへの扉となった。法大、トヨタ自動車とエリート街道からプロの世界へ。中日で9年プレーし、昨オフにFA宣言から残留を決断。公務員の両親に育てられ、進むべき道は家族会議で決めてきた。欲しているのはチームの優勝。井上竜で現役の炎を燃やす。 取材・文=川本光憲(中日スポーツ) 写真=橋田ダワー、兼村竜介、BBM 投手は自然消滅
選択のすべてに保険をかけるかどうか常に悩んできた。木下拓哉は両親がともに公務員という家庭で育った。高知県高知市生まれ。名門・土佐中を受験した。6歳上の姉も、4歳上の兄も、中学受験。当然の流れとして自分も受験し、まず初めの挫折として受験に落ちた。その後、高知中、高知高、法大、トヨタ自動車へと進む。法大へ進学した際は教職過程を踏むかどうか、社会人ではプロに挑戦するかどうか、ターニングポイントではいつも家族会議が開かれた。
2025年の年明け。木下は高知市内の実家にいた。
「5年ぶりですかね。初めて会う姉の子どももいました。そういえば、小さいころ、姉に“肉男”って呼ばれていました」 笑いながら少年時代を思い出す。米と肉以外、口にしなかった。
「胃袋を満足いく形で満たしたかった。野菜って要りますか? 頭にありませんでした」 肉ばかり食べるから、姉から付けられたニックネーム。少年野球チームに入り、
「まずまずの選手だったと思います」。上の姉、兄と同様、中学受験に挑み、小学5年生からは学習塾も受験用のクラスに籍を置いていた。受かると思って落ちた。小学6年生で「何か、僕の中で切り替わったんですよね」。塾へ行かずに遊ぶクラスメートも
大勢いた。どこかませていた自覚はある。高知中の二次試験なら日程的に間に合うと知った。このとき、思ったストーリーは2つあった。
「近くの公立中学へ行って土佐高校を目指すか。もうひとつの選択は、高知中から高知高校へ行って甲子園を目指すか。甲子園に全振りしようと心の中で決めました」 少年野球チームの対戦相手の中に、力のある選手が高知中へ進む話を耳にしていた。せっかく受験組として頑張ってきた分、結果としての合格も手にしたい。両親も成功体験としての高知中受験で意見は一致した。甲子園を目指すと決めたから食生活も変わる。
「体幹トレーニングをやって、プロテインも飲み始めました。今となっては、よく勉強される指導者と出会えたんだと思います」 肉男は野菜もばくばく口に放り込むようになっていた。このころの両親との会話を思い出す。
「周りにうまい選手が何人もいました。プロだなんて無理だよ、というのは僕も親も思っていました」 このときは投手。高知高へも投手として進んだ。同学年の投手に圧倒された。
公文克彦。高校入学組で将来を嘱望されていた。大阪ガスを経て
巨人へ入団し、プロ通算252試合登板、2023年シーズン限りで引退。
「公文が同学年では、絶対的存在でした」。
入部した1年生のうち、投手は10人弱。
「僕は2、3番目の選手だったと思います」。上の学年の選手もいる。
「スピードガンで測ってもらうようなシチュエーションで投げたこともありません」。どう監督にアピールするかばかり考えていた。
転機はふと訪れる。世代交代となる1年夏・・・
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