名門・横浜高で1年時から活躍して注目を集め、高卒で日本ハムに入団したのが2015年。攻守走そろう高いポテンシャルを持ちながらケガに悩まされ力を発揮し切れない日々を過ごした。そのすべての経験を糧にして、11年目に踏み出す。 文=佐野知香 写真=中島奈津子、大賀章好、川口洋邦、高原由佳、BBM 今年のセンバツは、横浜高が19年ぶり4度目の春王者に輝いた。かつては同じユニフォームを着て同じく甲子園で活躍した淺間大基も
「練習の合間などに結果をチェックしたりしていました。すごいですよね」と、後輩たちの快挙を見守っていた。
淺間が横浜高から日本ハムに入団し、昨シーズンで10年が経った。
「早かったですね。この10年、充実していた部分もたくさんありますけど、思い描いていたものとは違っているというか。理想と現実のギャップと常に戦いながらやってきた感じです」。
昨年末にも月日の流れの早さを感じる出来事があった。横浜高の同級生、
高濱祐仁が昨年限りで現役引退を発表したのだ。高校では「AT砲」としてそろって注目を浴び、淺間はドラフト3位、高濱は7位で日本ハムから指名を受け、一緒にプロの世界へ飛び込んだ。しかし、高濱は22年10月に交換トレードで
阪神へ移籍。24年オフに戦力外通告を受け、引退を決断した。
「引退を聞いたときは、彼らしいなと思いましたね。『NPB以外ではやらない』と言っていましたけど、そういうきっぱりとした決断があいつらしい。でも、やっぱり寂しい気持ちもありましたし、もっと頑張りたいという気持ちにもなりました。自分は、野球の面では泥臭くありたいと思っているので」 順風満帆とはいかなかったこの10年間。幾度も絶望と対峙し、そのたびにもがいて立ち上がってきた。
評価決める一打
プロ入り前は、エリート街道を歩いてきたと言える。淺間は高校入学前からすでに注目を浴びる存在だった。小学1年生で野球を始め、6年時には
東京ヤクルトスワローズジュニアとしてNPB12球団ジュニアトーナメントに出場。中学では新宿シニアでプレーし、3年時には全国選抜大会、日本選手権大会で8強入り。シニアの日本代表にも選出され、第15回AA世界野球選手権大会に出場。「スーパー中学球児」としてテレビ番組に取り上げられたこともある。
横浜高でも1年春から早くもベンチ入りを果たし、関東大会は一番打者で全3試合に出場した。夏の神奈川大会では2本塁打をマーク。同じく1年生ながら四番に座った高濱も同大会で本塁打を放っており、競い合いながら高め合う良きライバルとなった。
淺間の評価を決定づけたのは、2年夏の神奈川大会の準々決勝だ。対戦相手である桐光学園高の3年生エース・
松井裕樹(パドレス)は、前年夏の甲子園で1試合22奪三振の新記録を打ち立てた世代最注目の存在。その松井から、横浜スタジアムの右翼席に逆転2ランを打ち込んだ。
「あの1本は、僕の人生において大きい1本だったと思います。松井さんは全国的な注目度があったし、みんな桐光学園が甲子園に行くと思っていたはず。その投手から打ったことは自信になりましたし、自分を注目してもらえるきっかけにもなりましたから」 その夏の神奈川大会で横浜高は優勝。自身初出場の甲子園では・・・
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