中学時代の所属チーム欄は白紙。それでも高校野球に身を投じ、地元の大学、社会人を経由してプロの世界へ飛び込んだ。最優秀中継ぎのタイトルを獲得した右腕も8月で38歳になる。現役生活最後のグラブと決めたあこがれの桑田真澄モデル。その宝物を左手にはめ、今日もリリーフとしてマウンドに向かう。 文=川本光憲(中日スポーツ) 写真=榎本郁也、BBM オレンジ色のグラブを大切に抱えた。
「皮の色、手触り、すべてがカッコいいんです」。
本拠地バンテリンドームでの練習を引き揚げる祖父江大輔が使い始めたグラブを撫でていた。
1年前、球界を駆け巡った用具メーカー「アシックス」の野球用品事業撤退(
シューズを除く)。そのニュースは右腕にも直撃した。と同時に、新しいプランも浮かんだ。幼少期のあこがれは桑田真澄(現
巨人二軍監督)。同じアシックスを使うチームメートの
藤嶋健人とともに、ワールドペガサスにコンタクトした。手元に届いたのはオファーしたとおりの桑田モデル。色も同じ。ウエブ部分はもちろん今も昔も変わらない編み込みの通称・バスケット。投手用の王道に惹かれた。
練習相手は父親
名古屋市中川区で育った。当時は一軍の本拠地でもあったナゴヤ球場は同じ区内にある。ドラゴンズに親しみを抱くのは自然の流れだった。愛知高、愛知大と県内に通った。おまけにトヨタ自動車出身の純粋培養。2013年秋のドラフト5位で中日に入団した。
「愛知県しか知らないからドラゴンズは身近にありました。周りにはいろんなことを言う人がいますけど、『知らないでしょ?』って。あったかいチームですし、ドラゴンズに入れてもらえてよかったと思っていますよ」 祖父江の成長物語に父・明彦さんは欠かせない。愛知高の元エースとして、高校3年夏の愛知大会決勝に進んでいる。
青山久人(1975年秋のドラフト3位で中日入団)を擁する国府高に敗れ、甲子園出場の夢を絶たれた。だから野球に一家言あった。
父の勤務先は自宅から徒歩圏内の親族企業の菓子メーカー「日邦製菓」。自宅と工場の間にある公園でキャッチボールした思い出は、ほかの子どもたちとは異なる。なぜか。
「中学のときは毎日、一緒に練習していました。そのとき、僕はシニアをやめているんです。だから所属先がない野球少年でした」 体が小さかった。小学生のころはもちろん、中学に上がっても背の順で一番前だった。華奢で力もなかった。少年野球チームを経て、一旦は愛知西シニアの門をたたいている。でも、通ったのは数カ月間のみ。夏には退団しているのだ。送り迎えの車で父に
「やめたい」と切り出したことは、はっきり覚えている。周囲よりも投げられず、打ったって飛ばなかった。
「ホームベースからセカンドベースまで届かなかったですから。硬式ボールが重くって重くって投げられませんでした。軟式ボールしか触ったことなかったですし。バッティング練習をしろと言われて、当てることができても、なんせバットが重くて全然振ることができなかったんです」 やっていたのは球拾い。好きな野球が自分から離れていくような気がした。チーム退団は、野球と自分をつなげる強豪チームを取っ払うためだった。真っすぐ見つめたときの目力は当時も備わっていたのだろう。父は黙ってうなずいてくれた。退団が父と子の練習スタートの号砲となった。場所は近所の公園だった。
''「会社と家の真ん中ぐらいにありました。キャッチボールをして、ノックを打ってもらって・・・
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