プロ3年目の今季、セットアップ左腕としてブレーク中。大学時代はドラフト指名漏れという屈辱を味わい、社会人・日本通運からプロ入りしても1、2年目は順調とは言えなかった。それでも遠回りがあったからこそ、今がこんなに充実している。 文=梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報室長) ロッテのアイスか?
その瞬間は、寮から程近い行きつけのコンビニ
エンスストアのアイスコーナーにいた。
運命のドラフト会議当日、日本通運野球部に在籍をしていた高野脩汰は居ても立っても居られず、寮を飛び出した。共に行動をしていた日本通運野球部の先輩はソワソワしながら、しきりにスマートフォンをチェックしていた。そんな中、高野はすべての雑念を振り払うようにどのアイスを食べようか思案していた。
「ロッテだよ」。突然、先輩が興奮気味に声を掛けてきた。ロッテのアイスか。一瞬、思った。「千葉ロッテマリーンズだよ」。先輩の強い口調の言葉に一瞬、頭が真っ白になった。
「え?」。すぐには現実のことと受け止めることができなかった。スマートフォンの画面を見せてもらい、ようやく今、何が起こっているのかを頭の中で整理して理解した。2022年10月20日。高野はドラフト4位でマリーンズから指名を受けた。
苦い思い出があった。20年10月26日。関大4年のとき、もしかしたらドラフトで指名される可能性があると監督室でマネジャーと待機することになった。「指名候補に名前が挙がっているから、一応」と野球部関係者から促され、テレビ中継を見ていた。
「4年時は調子悪かったですし、自分の中でも半分以上はあきらめていた。でも、もしかしたらということだった」と高野。ただ、そうは言うものの自身の肌感覚では厳しいということは分かっていた。大学3年の秋のリーグ戦でMVPに選ばれると一躍、注目を集め、自分が試合で投げるとき、最初は多くのプロスカウトが視察に訪れていた。
しかし、日を追うごとにその数は減っていく。その現実が何を意味するか。大学生であった高野にも分かっていた。だから、指名がなかったときも
「まあ、そうだろうなあ。世の中、そんなに甘くはないよな」と、次のステージである社会人野球で頑張ろうとすぐに気持ちを切り替えられた。
結果的に、進路として選んだ日本通運野球部での日々が高野を成長させた。
「実際、足りないことばかりというのを社会人野球で痛感させられた」と話す。同じ左投げの投手コーチと苦手だったフィールディングや、
「真ん中付近に投げて、それが散らばって抑える」というアバウトな感覚だった制球にも細かく取り組んだ。球種はストレートとスライダーしかなかったが、落ちるボールのマスターに努力した。結果、フォーク、そしてチェンジアップは今、プロの世界で大きな武器になっている。
細かった身体もトレーニングコーチと肉体改造に取り組み、15kg増え、体幹も鍛えたことで今までなかった感覚の力がボールに乗るようになった。社会人で2年間、充実した日々を過ごし、プロでもやれると、それなりの手応えをつかんだ。
が、一度、ドラフトで指名がなかったという事実は記憶の片隅に確かに残っていた。だから社会人野球を2年間、経験して指名機会を得て迎えたドラフト会議を
「ちょっと怖かった」と振り返る。
「自分はテレビで見る勇気がなかった。部屋でずっと待っているのは嫌だった。メディア会見の予定もなかったので、外に行こうと。先輩にお願いをして一緒にコンビニに行くことにした」と話す。
そしてコンビニエンスストアに吉報が届いた。アイスコーナーでロッテのアイスを見ていたとき・・・
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