東洋大の同期はドライチ2人を含む4人が大卒でプロ入りした。2年後に同じ舞台に立つも、劣等感と危機感は常につきまとう。だがその反骨心を力に変え、5年をかけて先発としての地位を築き始めた。似た誰かでも、代役でもなく、その存在は確固たるものになっている。 文=田口元義(フリーライター) 写真=大泉謙也、橋田ダワー、高原由佳、兼村竜介、BBM 野球人生の分岐点
藤井聖は楽天に入団した2021年当初、同期入団の選手たちから「伊藤英明に似ている」とイジられていた。
ドラマや映画でヒットした『海猿』などで主演を務める人気俳優に似ているかと言われれば、例えば目元ほか類似する箇所があるような気もする。だとしても、21年の新人で最年長だった藤井は
「絶対に嘗(な)めてますよね」と笑いながら、
「似てないですよ」と大人の対応を見せていたものである。
そのルーキーが3年後の24年、同期入団の
早川隆久とともに楽天の左腕では初の2ケタ勝利となる11勝を挙げた。それは、藤井にとって大きな成功体験となった。
プロ野球選手のなかで藤井は、投手となってからの年数は浅いほうである。転向したのは富士市立高に入学して間もない、12年の春だった。
「ピッチャーやりたいやつ、いるか?」
1年生大会を前に指導者から促されると、当時、外野を守っていたが真っ先に名乗りを上げる。ここしかない──そう思ったからだが、彼なりに切実な思いが介在していた。
「小学校、中学校とずっとピッチャーがやりたかったんですけどやらせてもらえなくて。あのときに当時のコーチの人に言われて『やらせてください!』って感じでしたね」 前のめりだった高校時代の意欲を振り返りながら、確信を持つようにこう続けるのだった。
「いやもう、あそこが野球人生のターニングポイントではありましたね」 投手に転向し初めて存在感を印象付けたのは、3年の夏だった。藤枝東高との初戦で18奪三振の快投を演じ、ノーヒットノーランを達成したのである。2回戦でシード校の東海大翔洋高に3対4と惜敗し涙をのむが、夏のパフォーマンスが藤井のキャリアを切り開いたのも確かだった。
大学は全国屈指のリーグとして名高い東都大学リーグの強豪、東洋大に進んだ。同級生投手には、のちに
ソフトバンクから1位指名される
甲斐野央(現楽天)をはじめ、
DeNA1位の
上茶谷大河(現ソフトバンク)、
中日2位の
梅津晃大がいた。野手に目を向けても、
オリックスに7位で指名されることとなる
中川圭太に
広島に6位で入団する
末包昇大と、リーグ屈指の戦力を誇っていた。
東洋大では、この手だれたちと肩を並べる存在だったかと言えば、そうではなかったかもしれない。彼らがプロへの扉を開いていくなか、藤井は東都大学リーグで1勝もすることなく大学野球を終えた。
いつか上の舞台で対戦することがあれば勝ちたい──大学時代に蓄えた不屈は、キャリアを支えるうえで大きなモチベーションとなる。卒業後に進んだ社会人野球のJX-ENEOS(現ENEOS)では1年目から主戦を任され、19年秋のアジア選手権では社会人日本代表にも選出されるなど力を伸ばした。そんな藤井が「伊藤英明」と頻繁に呼ばれるようになったのも、ちょうどこのころだったのだという。
大卒の社会人選手のプロ入りが解禁される20年。藤井は楽天からドラフト3位で指名された。そして彼は、先にプロへと進んだ甲斐野、上茶谷、梅津、中川の名を真っ先に挙げ、このように捲土(けんど)重来を期すのである。
「大学の同期だった4人とは対戦したいなという気持ちはすごくあります。ピッチャーの3人とは投げ合いたいですし、バッターで言えば中川は同じパ・リーグなので、対戦したらしっかり三振を取りたいですね」 プロ入りを手繰り寄せた、最速150キロとも評される力強いストレート。そこに加え、自らの持ち味として「強気の投球スタイル」をアピールしていた。
即戦力と期待されていた大卒・社会人出身の左腕はしかし・・・
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