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野球浪漫2026

日本ハム・畔柳亨丞 恩人への感謝を込めて「あそこで止めてくださったので、後半戦は一軍に上がって投げられた。あのまま投げていたら、それもなかった」

 

あの日、あの時、あの場所で投げ続けていたら──。2025年シーズン終盤に台頭した若きリリーバー。一軍で輝く前に大きなターニングポイントがあった。異変を察知してくれた先輩がいたからこそ今がある。その感謝を胸に、新シーズンへ向けて飛躍を誓う。
文=井上陽介 写真=高原由佳、湯浅芳昭


ターニングポイントは突然に


 畔柳亨丞は、どうしても自分の思いを伝えたかった。昨年9月末のことだ。突然の知らせに思わずスマホを手に取った。インスタグラムを開き、DMでメッセージを送った。「『お疲れさまでした』ということと、あの時の感謝の気持ちを伝えさせていただきました」。とにかく必死だった“あの時”に「やめといたほうがいい」と言ってくれた先輩がいた。

 昨年6月11日のことだ。先発したのは、ジャイアンツタウンスタジアムで行われたイースタン・リーグの巨人戦。試合前から雨が降っていた。それでもプレーボールの時間が迫る。ランニングを始めると腕を振った際、右肘に痛みが走った。「これはちょっとまずい」。キャッチボールでもそう感じた。それでも投げることを決めたのは、この日が“判断の日”だったからだ。

「その前の試合でちょっと痛めていて、もう『ちょっとやばいな』っていう話をトレーナーさんともしてたんですけど、あと1回投げてダメだったら、もう考えますっていうことを言って」

 5月27日に先発したイースタンのDeNA戦(鎌ケ谷)は4回2安打無失点。結果的には好投だったが、右肘に痛みを感じ始めていた。だから登板間隔も15日間とじっくり様子を見ていた。

 たっぷりと時間をもらったのに、試合直前で登板回避となれば、ほかの投手にも迷惑が掛かる。そのままマウンドに上がって2回まで1失点でしのいだが、内心は「そこまでもやばかったので、うわぁどうしようっていう感じで……」。ついに3回、限界が来た。

 先頭打者から安打、安打、四球。無死満塁からはストレートが抜けて押し出し死球を与えた。次の打者は二ゴロに抑えて何とか一死を奪ったが、続く打者には適時打を浴びた。そして、打席に迎えた長野久義に対して、4球連続ボール。カットボール、カーブ、ストレートとすべてが浮いた。ここでタイムがかけられた。すぐにマウンドに駆け寄ってくれたのは、二塁を守っていた若林晃弘だった。

「くろ、もうやめといたほうがいい」

 先輩は畔柳の右肘を指さして、ベンチへ合図を送った。トレーナーも駆けつけ、ここで降板することを決意した。もし、あのタイミングでタイムをかけてもらわなければ「全然、投げていましたね」と振り返る。それくらい、任されたマウンドを全うするんだという強い気持ちもあった。ただ、あのまま投げていたら、もっといばらの道が待っていたかもしれない。

 すぐに精密検査を受けると、右肘の状態は手術寸前だった。

「骨棘があるんですよ、肘に。それが当たって炎症が起きていた。それが剥がれてしまったら“ねずみ”っていうふうになって、その骨を取るクリーニング手術をしないといけなかった。本当ギリギリだったんですよ、僕の肘。それが取れかけていたんで」

 無理をすれば投げ続けられたかもしれないが、大きな代償を払う可能性もあった。だから“やめる勇気”を与えてくれた先輩に感謝する。

「若林さんが止めてくださったので、後半戦は一軍に上がって投げられた。あのまま投げていたら、それもなかったかなって思うので」

自分を見つめ直した期間


 開幕二軍スタートだった4年目の昨季は、一軍昇格のチャンスをつかめないまま梅雨の時期を迎えていた。そのころ、一軍では2021年秋のドラフトで同期入団の達孝太が先発ローテーション入り。さらに育成入団から24年5月に支配下登録された柳川大晟も、ブルペンに欠かせない存在となっていた。

 二軍でも柳川と同じく24年に育成から支配下登録された福島蓮が状態を上げ、野手でも有薗直輝が本塁打を量産。「いい刺激をもらい合いながらやれているっていうのは、すごくいいこと。自分も負けてられないなっていう気持ちにもさせてくれる」。自分もなんとかアピールしたい──。どこかでその刺激が焦りに変わっていたのかもしれない。

2021年秋のドラフトで5位入団した畔柳[前列左端]は、同学年でもあり同期入団の達、有薗、福島、柳川らに刺激を受け、飛躍のために腕を振る


 冷静な判断がつかなかったとも言えるかもしれないが、とにかく必死だった“あの時”。あのまま突っ走ってしまっていたら、明るい未来を切り開くことができていなかっただろう。

 手術を回避した畔柳は、投球フォームの見直しに着手した。肘に痛みが走るのは、なぜなのか。原因を追究していく中で、フォームの悪癖として右腕を振るタイミングが遅くなるときがあることが分かった。

 適切なタイミングで腕を振らないと、ボールにも自身の肉体から放たれるパワーがすべて乗り移りきらない。ロスしてしまう分は、自分の肉体に跳ね返る。畔柳の場合は右肘に負担が掛かり、痛みを引き起こしていた。

 悪癖が出ないような動作を身につけるためのドリルを繰り返すなどしてフォームを見直す中で、トレーニングも一から洗い直した。シーズン中は筋力の維持、強化のためにウエート・トレーニングに特化していたが、その考えを改めることにした。

「ウエートだけになってしまうことが多かったんですけど、なかなかパフォーマンスも上がってこなかったので、ピラティスとか体幹トレーニングもやっぱり重要だなっていうのに気づいたって感じですね」

 それまでオフの自主トレ期間に重点的に行っていたインナーマッスルの強化をシーズン中にも着手。ピラティスは自重トレーニング。体の使い方を向上させることで投球にも、いい効果が出てきた。

「いかに自分の体をコントロールして投げるかっていうのが大事だなって思う。そういった面でピラティスは自重で体をコントロールするのが結構きついので、すごい野球の投げることにつながってくる感じはします」

 さらに走り方も見直すなど、実戦から離れた間にいろいろと取り組みを修正。右肘の痛みも癒え、再びマウンドに戻ることができたのは2カ月後の8月11日、イースタンのDeNA戦(横須賀)。まずは1イニングだけだったが、無失点で実戦復帰を果たすと、再び先発調整に入って2試合に先発する。「自分の思ったように投げられるという感じになった。今までにない、いい感覚っていうのが出てきているので、確実にいい方向に進んでいる」と内容も上々に仕上がってきた中で、ついに一軍からお呼びがかかった。

飛躍の裏にあった別れ


 昨季の初昇格は9月13日。一軍が日本ハムと激しい優勝争いを繰り広げる中での合流だった。

 2日後の9月15日の西武戦(エスコンF)で初登板を迎えた。1点ビハインドの5回にマウンドへ。二死一、二塁のピンチを背負ったが、なんとか無失点でしのいだ。チームも逆転勝ち。この試合が一軍ではエスコンF初登板だった。

一度立ち止まって投球フォームを見直した結果、シーズン終盤には中継ぎとしてエスコンFのマウンドで3度投げ、弾みをつけた


 畔柳が「24年の春季教育リーグで1回(エスコンFで)投げたことがありますが、歓声が全然違う。自分の味方がたくさんいるような感じがして投げやすかった」と振り返った日を含めて16日間で計5試合に登板。5イニングを投げて自責点1という安定感を見せると、そのままクライマックスシリーズ(CS)のメンバーに入った。

シーズン5試合目の登板となった9月30日の日本ハム戦[みずほPayPay]では、今季初ホールドを記録。CSメンバー入りを自らの手で勝ち取った


 CSではオリックスと戦ったファーストステージでの登板はなかったが、ソフトバンクと戦ったファイナルステージ第4戦で登板。6点リードの9回のマウンドだったが、2三振を含む三者凡退で試合を締めくくった。この試合が紆余曲折あった25年シーズン最後の登板となったが、貴重な経験を積んで終えることができた。

10月18日のCSファイナルステージ第4戦[みずほPayPay]では9回に登板。試合を締めて、バッテリーを組んだ捕手の伏見寅威[現・阪神]とハイタッチを交わした


 シーズンの大半は二軍で過ごし、手術寸前だった右腕は“あの時”をターニングポイントとして飛躍の礎を築くことができた。その一方で、先輩は野球人生の節目を迎えていた。

 9月26日、若林は現役引退を発表した。24年シーズン開幕前に巨人からトレード移籍で加入した男は、度重なるケガとも闘ってきた。球団から発表されたコメントは人柄がにじみ、いろいろな思いを巡らせさせるものだった。

「ジャイアンツ6年、ファイターズ2年、プロの世界に入り良い時も悪い時もたくさんありましたが、応援してくださるファンの皆さんがいてくれたおかげで、8年間プレーすることができました。心から感謝申し上げます。そして野球を通じてたくさんの方々に出会え、支えられて今の自分があると思っています。野球人としてだけでなく、人間として成長させていただきました。貴重な経験をすることができ、本当に幸せな時間でした。ケガが多く、ご心配をお掛けすることばかりでしたが最後まで元気にプレーしたいと思います。こんな自分を応援していただき、本当にありがとうございました」

 その時、畔柳は一軍にいた。引退会見、引退試合は9月28日に二軍本拠地の鎌ケ谷で行われ、駆けつけられない。だから、思わずスマホを手に取った。

「ラインの連絡先を持っていなかったので、“あの時”の感謝の気持ちを伝えさせていただきました」

 若林からも返信が来た。自身を奮い立たせてくれる文面だった。

「くろ、ありがとう。くろの負けん気の強さを見ていて、すごい尊敬できるところがあったよ。あの時は責任感と強い気持ちがあって、ものすごく投げたかったと思うけど、まだ若くて先がある選手だからこそ、無理することは今後良くないと思って判断させてもらった。今、一軍で投げられてるってことは、あの時そういう判断をして正解だったと思うし、ケガして苦しんだ身からすると、あそこで頑張ることは間違っていると思ったから言わせてもらった。ケガにだけは気を付けて」

 先輩は自身の経験も踏まえて、自分を守ってくれていた。「もう感謝しかないですね」。心から、そう思った。

中継ぎで一軍完走へ


 昨年11月の秋季キャンプは初めて主力が集うエスコンF組に振り分けられた。ファイナルアップデート中として現場にはいなかった新庄剛志監督からはキャンプ中に「シュートを練習してほしい。カットボールが生きてくるから」とインスタグラムのDMで指示が飛んできた。

 畔柳も、そのつもりだった。一軍で過ごした最後の約1カ月間で武田久投手コーチとも「やっぱりシュートが欲しいよね」と話していた。カットボールで内角を攻められる左打者は得意だが、右打者に対しては苦しんでいたからだ。現役時代にシュートの名手だった同コーチから「曲げようとするな」と極意を授けられた。さらにフォークも改良し、いい手応えを持ってオフに突入。新シーズンへ向けて、じっくりと新たな武器を磨いている。

「あのまま自分が投げていたら、もしかしたら手術してたかなって思う。その後にちゃんと投げられるようになって、ある程度の結果も出せたことで、投げなかった時期が今年につながるいい期間になったのかなって思う。若林さんにきっかけをもらったからこそ、ちょっと成長できたなって思うので、とても感謝しています」

 26年シーズンは中継ぎで勝負する。

「自分は毎日投げたいタイプ」とリリーバーとしての適性も自ら見いだしている。目標は「1年間、一軍で投げられるように頑張りたいなと思います」。登板数の目安は40試合以上に設定した。ケガの再発防止も含めて方向性が明確となり、あとは突き進むだけ。いろいろなことがあったプロ4年目の1年間で得た経験値は大きい。飛躍の5年目が、いよいよ始まる。

PROFILE
くろやなぎ・きょうすけ●2003年5月3日生まれ(23歳)。178cm87kg。右投右打。愛知県出身。[甲]中京大中京高-日本ハム22[5]=5年。
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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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