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野球浪漫2026

阪神・湯浅京己 感謝、そして希望へ「助けていただいた人がたくさんいる。1年でも長く、投げている姿を見せたい」

 

うなりを上げる真っすぐが代名詞だった。今でも多くのファンはその姿を追い続けている。当然、本人もそこを追い求めさまざまなトレーニングを積んでいる。2026年も一軍で勝利に貢献しながら、国指定の難病からの完全克服に向け、希望の光を照らし続けている。
文=柏原誠(日刊スポーツ) 写真=宮原和也、川口洋邦


 3月27日、東京ドーム。湯浅京己は派手な演出の開幕セレモニーの中にいた。緊張と喜びが入り混じったような表情で、独特の空気を味わった。3年ぶりの開幕一軍メンバー入り。仲間と一緒にシーズンのスタート地点に立てた。この事実がまず大きな一歩だった。

「開幕一軍はひとつの目標としてありました。スタートからしっかりチームの力になれるように頑張りたいです」

 8年目のシーズンが幕を開けた。その開幕戦でさっそく1イニングを無失点。しかし第3戦では巨人の新外国人ダルベックに一時同点となる2ランを浴びた。口を真一文字に結んで悔しさをあらわにする姿が印象的だった。

 時には打たれることもあるが、それでも毎日途方もない数のルーティンをこなし、ブルペンで緊張の時間を過ごす。一軍リリーフ投手の日常だ。それこそが、湯浅が勝負の舞台で戦っている証しでもある。


 さあ今年は完全復活の1年だ、と軽々しく言えるような生易しい「敵」ではない。湯浅が向き合っているのは、厚労省が指定する難病の「胸椎黄色じん帯骨化症」。ショッキングな診断を下され、手術を受けたのは2年前のこと。24年の8月だった。神経が圧迫されて下半身のしびれや脱力などが引き起こされる病気で、湯浅の場合は軸足にあたる右脚に大きな影響があった。思うように力が入らなくなった。

 紆余(うよ)曲折の野球人生は故障との闘いだった。三重県尾鷲市から野球留学した福島の聖光学院高では腰の成長痛に悩まされた。記録員を経験し、甲子園のマウンドとも縁がなかった。独立リーグを経てプロ入りしたが腰椎分離症を3度患った。何度苦難に見舞われても希望を失わず、乗り越えてきた。今度ばかりは心が折れそうになった。野球をやめたいと思うまで追い詰められた。

 悩んだ末に手術を決断。劇的に足は軽くなった。ずっと得体の知れない違和感に悩まされてきただけに、目の前が大きく開けた思いだった。25年の春季キャンプで実戦復帰を果たすなど、順調に復帰ロードを歩んだ。沖縄でシート打撃を見守った藤川球児監督は「僕はフラットに見なければいけない立場だけど、心のどこかではやっぱり頑張ってくれと、ファンの方と一緒の思いです」と、それまでの苦労を思いやった。

 ただ、この病はどこまでもやっかいだった。キャンプが終わり、3月に入ると、再び強い違和感に襲われるようになった。日によって症状の波があるが、ひどい日は右脚に力が入らず、パフォーマンスにも大きな影響が出た。せっかく手術を受けたのに。付き合うしかないのか──。メンタル的にも苦しい時期だった。

 それでも「これが自分の人生」と懸命に前を向いた。一軍復帰を目指してコツコツと状態を上げていった。そして、今からちょうど1年前の4月29日。バンテリンドームでの中日戦で一軍マウンドに戻ってきた。レギュラーシーズンでは684日ぶり。「ピッチャー・湯浅」のアナウンスに敵地ながら大歓声が飛んだ。無失点でベンチに戻るとナインの温かい祝福を受けた。左翼席のファンからも大きな拍手が起きた。

「やっと戻ってこられた。やっとここからまた始まるな、という感じです。すごい声援をいただきましたし、久しぶりに一軍で投げられる幸せを感じました。手術する前の感覚を考えたら・・・

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