球界屈指の強肩にインサイドワークも着実に向上。打撃面でも確かな成長の跡を示し、一軍レベルの力があることを証明した。迎えた今季、だからこそ感じた“一軍の壁”。次なるステージ、勝てる捕手の称号を目指し、歩みを止めることなく腕を磨き続けていく。 文=榊原隼人(スポーツライター) 写真=桜井ひとし、川口洋邦、BBM “盟友”との歩み
そこは、選ばれし猛者たちのみが立つことを許される戦場。スタンドから打ち鳴らされる太鼓とトランペット、満員の大観衆、そして、その右手5本の指を駆使して投手に送るサインの一つひとつにかかる責任と重圧は、ファームのそれとはまるで異なる。巨人期待の捕手、山瀬慎之助は7年目の今季、実力者がずらりとそろう陣容の中で開幕一軍入りを果たすと、春先から4試合でスタメンマスクをかぶった。神経をすり減らす戦いの場に身を置き、独特の緊張感、プレッシャーを、身をもって経験。4月11日の
ヤクルト戦(東京ドーム)ではプロ初本塁打をマークするなど、確かな存在感を見せた。
「プレッシャーというか、(大観衆に)見られるとやっぱりうれしいし、どうしても自発的には出せないアドレナリンが出るので。そんなに緊張することもなくなってきて、自信もついたのかなと」 時には座ったまま二塁へ矢のような送球を放つ。その切り抜き動画はたびたびSNS上をにぎわせる。自慢の強肩は、現役NPB選手の中でトップクラスとも言われる。

球界でもトップクラスの強肩は大きな武器だ
石川県かほく市出身。同市立宇ノ気小2年時に軟式クラブ「宇ノ気ブルーサンダー」で野球を始めた。同期には小学校の同級生でもあった
奥川恭伸(現ヤクルト)がいた。
「奥川はキャッチャーがやりたかったんですけど、(指導者に)お前がキャッチャー、あいつがピッチャーと言われて」。そう明かしたのは小学4年時の秘話。そこから全国大会で優勝を成し遂げた宇ノ気中、そして石川・星稜高まで10年弱、2人で“黄金バッテリー”を組み続けた。
鉄砲肩は当時から光っていた。中学時代までは、大会や試合によっては奥川とバッテリーが入れ替わる形で山瀬がマウンドに上がる機会もあった。
「中学2年生で最速138キロ。そのとき奥川が137キロだったので、1キロ僕が勝っていました」と胸を張る。
高校進学時には、山瀬に投手として声を掛ける学校もあったという。それでも、
「奥川がいたので。スライダーはえぐいし、コントロールも良い」と投手へと舵を切ることはなく、“捕手道”を極める選択をした。「(奥川と)バッテリーで来てほしい。日本一になってほしい」。当時の林和成監督から熱い言葉で誘いを受け、
「うれしかった」と星稜高への入学を決めた。

当時の林監督[中央]の誘いもあって奥川[左]とともに星稜高の門をたたいた
県内はもちろん、全国的にも有名な強豪校で過ごした3年間。
「すごく自由に、のびのびとやらせてもらいました。今振り返ると、毎日楽しいと思いながらできていた。でも、みんな練習するので。そこでの競争とか、周りに感化されながら成長することができた」と懐かしそうに振り返る。
最終学年ではチームの主将を任された。高校最後の夏、第101回全国高校野球選手権大会では3回戦で智弁和歌山高と延長14回、タイブレークの末にサヨナラ勝利を飾るなど数々の激闘を繰り広げ、同校を甲子園準優勝へと導いた。2019年の秋に行われたドラフト会議で、巨人から5位指名を受ける。3球団競合の末にヤクルトに1位入団した奥川とともに、2人でプロの門をたたいた。
指揮官からの“宿題”
幼少期から夢に描いたプロ野球の世界では、持ち味の強肩が高い評価を受ける一方、打撃面では苦戦を強いられた。そんな中で迎えた昨季、二軍で打撃チーフコーチを務めていた
矢野謙次コーチ(現巡回打撃コーチ)による指導を受け、
「バットをあまり振り過ぎないようにやっていた。そこまで振るというよりは、しっかりコンタクトできるような形の中で振るという指導を受けた」と打席での自らの意識を改革した。
課題だった打撃の確実性が向上し、規定打席には75打席足りなかったが、イースタンで2位に相当する打率.302を記録。二軍戦を視察し続ける他球団の編成関係者も高く評価するほどの進化を遂げ、チームの捕手で最多となる99試合に出場。扇の要として、イースタンの優勝に大きく貢献した。
だが、一軍の壁は厚かった。24年のリーグ優勝に貢献した
岸田行倫、
大城卓三、
小林誠司がいる捕手陣に、
ソフトバンクを4度の日本シリーズ制覇に導いた司令塔で、山瀬もオフの自主トレで弟子入りする“師匠”の
甲斐拓也が国内FA権を行使して新加入。いずれも侍ジャパンのトップチームに選出された経験を持つ実力者たちで、山瀬は二軍戦で出場を重ねて結果を残しながらも、なかなか一軍からは声が掛からず。
「二軍の開幕からずっと成績が良かったので、もう、毎カード、毎カード、『(一軍昇格の)電話が掛かってこないかな』という気持ちだった。それがなかなか掛かってこない、という一年だった」と、もどかしい日々を過ごすと、オフになると大胆な行動を取った。昨年11月の契約更改交渉で、初めてサインを保留。得られなかった一軍でのチャンスを球団に強く訴えかけたのだ。
「来年は、来年は、というシーズンがここ2、3年続いていたので。小学校の文集にも『巨人の10番を着ける』と書いたくらい、めちゃくちゃジャイアンツファンで、もちろんジャイアンツでやりたいと思うけど、来年も同じような形になったら、違う選択肢を考えてほしいです、と。それくらい試合に出たい思いが強いという話をしました」 自身の名前の由来でもあり、少年時代から巨人の正捕手を務めていた
阿部慎之助現監督に憧れてきた男が、異例の“移籍志願”も口にするほど出場機会に飢えていた。
強い覚悟とともに臨んだ今季。
「やっぱりオフにああやって動いて、もちろん気合というか、今年、正捕手を獲ろうと思って」。春季キャンプ、オープン戦とアピールを続け、まずは開幕一軍の切符をつかんだ。
初めて開幕一軍スタートとなった22年は一度も先発出場することなく4月中に二軍落ち。翌23年もスタメンは1試合だけで、24、25年の先発出場はいずれも優勝チームが決まったあとの“消化試合”だった。迎えた7年目、岸田、大城との併用で少ない機会ながらも、初めて春先からスタメンマスクをかぶり、持ち味を発揮。4月18日のヤクルト戦(神宮)では小学生のときからバッテリーを組んだ“元相棒”の奥川から適時打を放ち、
「小さなころからやられてばかりだったので、チャンスで一本打つことができてよかった」とこぶしを握る打席もあった。

今季はプロ初本塁打[左]に“元相棒”奥川から適時打を放つなど、課題だった打撃は着実に向上している
4月の段階で4試合の先発出場は、すでに自己最多タイ。阿部監督は「一軍である程度できるというのは、自分でも分かったと思う」と評価した一方で、4月20日に出場選手登録抹消となった際、指揮官は“宿題”を与えた。
「やっぱり勝てないと捕手って評価されないから。巡り合わせもあると思うけど。本人にも、『勝つのは難しいだろ?』って言って。勝てる捕手を目指してほしい」
山瀬が先発マスクをかぶった4試合、チームはすべて敗れていた。
村田善則バッテリーチーフコーチが補足する。
「バッティングでも結果が出たし、スローイングを含めた守備の部分でも。ゲームに出ている振る舞いもすごく堂々としていたし、すごくいいものが見られた。ただ、捕手が大事なの
は、その次のチームの勝利。よく打ったねとか、いいプレーしたね、とかよりも、もう一個先のものを求められているということでもあると思う。やっぱり、チームの勝敗を背負うような捕手になってほしい。だから、いい意味でステージは上がったし、ステップアップしている。去年はまだ、そこに行く前の段階だった。それがファームで一年間頑張ったことで、次のステージに進むことができた。すべてが一軍レベルになってきたということを、今回一軍に来て、それをまさに見せてくれた」
高い壁を越えるために
二軍で結果を出しながらも、なかなか一軍昇格を果たせなかった昨季。それでもファームでマスクをかぶり続け、奮闘した日々は、間違いなく山瀬をレベルアップさせていた。そして、進化したからこそぶつかることができた“一軍の壁”。野球の勝敗には多くの要素が絡み合う。それを、捕手だけの力でコントロールすることはできない。現役時代に通算2132安打、406本塁打をマークし、巨人を幾度もリーグ優勝、日本一へと導いた名捕手の阿部監督をはじめ、村田、
實松一成両バッテリーコーチがそろう一軍首脳陣は、もちろん分かっている。だからこそ、山瀬にはあえて高いレベルを求める。
村田コーチは「俺も監督も、経験している。理不尽な思いもいっぱいした。捕手だけの責任ではない、けれども、どうしてもそうやって見られるポジションだから。成長するためには、それを自分の中で消化して、どうつなげられるか。自分の場合は主に二番手捕手で、何試合かに一回、巡ってくる出場機会で結果を残さなければ、一軍にいる意味がなくなってしまう。そこで評価されるために、結果と向き合ってきて今がある。監督だって、いろいろなことを言われてきた中で、それを糧にして長くレギュラーを張ってきた。實松も、みんなが経験していること」と山瀬の現状に理解を示す。
そして、「捕手は全球に関わるわけですから。勝つためには、何が必要なのか。あのとき投手にこうやって声を掛けていれば、結果が変わったのかなとか、そういうところに意識がどんどん向くようになれば、視野を広げることにもなって、もっといい捕手になっていくんじゃないかと。おそらく、この期間で1プレー、1球の重み、自分にはもっと何が必要なのかを感じ取ってくれたと思う。ただ一軍に行くことが目的ではない。試合に出て勝つ、優勝させる捕手になるためには、必要なことがもっとたくさんある。もう一つ高いところをわれわれも求めているし、その期待に応えてくれるように、ファームで取り組んでくれていると思う」と一軍の戦いをより深く経験した背番号67にさらなる成長を求めた。
チームは現在、昨季まで2年続けてチーム最多の先発マスクを任された29歳の岸田が、今季から第21代主将に就任。33歳の大城が持ち味の打棒を生かして出場機会を増やせば、36歳のベテランである小林はしびれる試合終盤の途中出場でも存分に力を発揮する豊富な経験が光る。そして、開幕二軍スタートとなったものの、ソフトバンクや日本代表で何度も重圧のかかる試合のマスクをかぶってきた33歳の甲斐もいる。
12球団を見渡しても屈指の陣容を誇る捕手陣だが、来季はその4選手とも30代となるだけに、次世代の育成は常勝軍団を築く上で避けては通れない。その中で筆頭株とも言える25歳の捕手にかかる期待は大きい。

岸田[右]や大城[中央]などライバルの高い壁を乗り越えていく
首脳陣が期待するとおり、山瀬自身も現状に満足するつもりは一切ない。
「僕が求める選手像には、まだまだ遠いので。そこをしっかり伸ばしたい。フレーミングも、ブロッキングも、すべてにおいてもっとアグレッシブな捕手になりたい。バッティングも、もっと打たないといけない。まだまだ、成長段階なので。自分で天井を決めずに、上を見てやっていこうと思っている」 グラウンド上でただ一人、ほかの選手たちと正対して座る扇の要。だからこそ、求められるものは多い。高い壁を、自らの手で乗り越えた先に、明るい未来が待っている。

“勝てる捕手”を目指して一歩ずつ歩みを進めていく
PROFILE やませ・しんのすけ●2001年5月4日生まれ(25歳)。177cm89kg。右投右打。石川県出身。[甲]星稜高-巨人20[5]=7年。