勝ちパターンに欠かせぬ「8回の男」。5年目の今季、抜群の安定感でリリーフ陣を引っ張り、勝敗に直結する重要なマウンドに立ち続けている。2022年ドライチ右腕には、紆余曲折を乗り越えてきたからこそ宿る強さがある。 文=阪井日向(スポーツニッポン新聞社) 写真=宮原和也、早浪章弘、牛島寿人 中継ぎ転向直訴の決断
たどり着いた“天職”で、潜在能力を完全開花させた。椋木蓮、26歳。大卒5年目の今季はセットアッパーとしてここまで23試合に登板し、リーグトップの17ホールドを記録(いずれも6月11日時点)。特に5月は9登板で9ホールド、失点ゼロと文字どおりの“無双”を誇った。最速155キロ、回転数2600超えの直球とキレ味鋭いフォーク、スライダーを武器に、守護神の
マチャドと双璧をなす存在としてオリックスのマウンドに君臨している。
「楽しいですね。自分はそういう場面で投げてきてなかったから、ボール球が2球続いて相手ベンチが喜んでいたり、すごい打者がヒット打って喜んでいたりしたら、“僕に対してそんな喜ぶんや”みたいな感じがあって。そう思うと、やる気が出ます」 野球人生の転機とも言える大きな決断を、昨夏に下した。ルーキーイヤーの2022年9月末に受けた右肘のトミー・ジョン手術から24年に支配下復帰を果たすも、10試合の登板で1勝1敗、防御率5.54。翌25年も8月末まで6登板計18回1/3で防御率9.33と結果が伴わない。抱いていたのは、先発として勝負できていない現実に対するもどかしさだった。
「スピードとか回転数とかの数字を見たら、別に二軍で6回や7回を投げる分には大丈夫だったんですけど、2回、3回ぐらいから腕に痛みではなくだるさがずっとあって。結局バッターと勝負というより、ゾーンに投げて打ち損じてくれ、と願うような投球だったのが、すごく自分の中でも嫌で……」。手術から3年がたっても本来の投球を取り戻せず、キャリアの岐路に立っていることを自覚していた。
「このままかわす投球で抑えても本当に喜べるかと言ったら、そうじゃないと思うし。(先発から)逃げてでも、自分が長く生き残るには中継ぎしかないんじゃないかなと。もう大卒4年目でしたし、本当にクビになるよりは……と思って、自分で決めたことですね」 デビュー2戦目だった22年7月20日の
日本ハム戦(京セラドーム)では、ノーヒットノーランまであと1アウトに迫る快投。先発として球界に一躍その名をとどろかせていた。
「心のどこかで、自分で中継ぎに行きたいってのは逃げじゃないか」という葛藤とも向き合いながらも、
「相手打者頼みの投球より、ちゃんと一球一球にかけることができる1イニングに集中したい」と腹を決めた。
1回2/3を3失点だった(25年)8月26日
ロッテ戦の翌日、ほっと神戸でのロッテ戦前の練習の際に
岸田護監督の下を訪れ、中継ぎへの完全転向を直談判。現役時代にNPB通算433登板、先発から抑えへの転向を経験している指揮官も、「上(球団幹部)に言ってみてから」と前置きしつつ、「(先発として)週1で投げるか、(中継ぎとして)週3で投げるかで気持ちとか体力の面も変わってくると思うけど、ムック(椋木)がそう思うなら、そうしよう」と背中を押してくれた。正式に転向が認められ、ファームでの調整を経て9月15日に再昇格を果たすと、6試合の救援で被安打わずか1、無失点と躍動。勢いそのままにプエルトリコでのウイン
ターリーグ派遣を経て、今春キャンプ、オープン戦とアピールを続けて「8回の男」の座をつかんだ。
尊敬する先輩との出会い
2000年1月22日生まれ、山口県山陽小野田市出身。1学年上の兄が小学校進学と同時に野球を始めた影響で・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン