必死に、食らいついてきた。2020年育成1位入団から支配下登録をつかむも、22年の5試合出場後は一軍の舞台から遠ざかった。長い下積み生活を経て、今季見せているブレークの兆し。危機感を胸に、捕手として上を目指す努力に終わりはない。 文=坂上俊次(中国放送アナウンサー) 写真=井田新輔、井沢雄一郎、大賀章好、BBM 平坦ではない道
『どんなに小さなつぼみでも凍える冬を超えればほら春が来るたびに鮮やかな花が咲くのだから』(「YELL〜エール〜」作詞:小渕健太郎)
父が運転する車ではいつも、コブクロの曲が流れていた。試合でバス移動のときも、この音楽を聴く。
「泰輝が幼稚園のころから一緒に聞いていました。コブクロはいい曲が多いですからね。車の中で歌っていたことも覚えています」
父・知己さんも野球をやっていた。日本製紙旭川では捕手を務めていた。だから、息子が
「野球をやりたい」と口にしたのはうれしかった。
「小学生のとき、永山西クラブのチラシをもらってきて、『野球がやりたい』と言ってきました。どちらかというとサッカー好きな印象で、一緒に野球をやったことはありませんでした。周りの仲間の影響もあったようですが、野球を希望してくれてとてもうれしかったです」
しかも、持丸は父と同じポジションに憧れた。
「キャッチャーの防具を見て、カッコいいと思いました。自分も着用してみたかったです。ちょうど体も大きくて、いろんなポジションをやらされる中で、捕手をやらせてもらうことが多くなっていきました」 最初は感動ばかりだった。防具を身に着けると、心が躍った。しかし、小学生である。現実を前に、気持ちは揺れた。
「やってみると、夏は暑いし。やっぱりキャッチャーは大変だと思うようにもなりました」 甲子園に出場し、プロ野球選手にもなった。しかし、そこからの道は平坦なものではなかった。
今年4月17日、持丸は
DeNA戦(マツダ広島)で実に4シーズンぶりの一軍の試合に臨んでいた。一軍経験はあるが、ここ3年は二軍生活が続いていた。プロ6年間で一軍出場は5試合、ヒットは打っていない。危機感はピークに達していた。
8回の守備から出場した。
「途中から試合に出ると聞いて、落ち着きませんでした。ホームプレートの後ろで座ったときも、どこかフワフワしていました」。 一死一塁。DeNAの
神里和毅がスタートを切ってきた。
持丸のスローイングは、二塁ベースのわずか右への完璧なものだった。
「今までの自分だったら、捕球ミスをしていたかもしれません。ボールの握り替えができなくて、投げられなかったかもしれません」 二軍チーフ兼バッテリーコーチの
倉義和は、このプレーをタ
ブレットで凝視していた。「捕って。速く、強く、正確に投げていました。二塁ベースの右端、野手が一番タッチをしやすいところです。このプレーが1試合目で出たことが大きいです。ずっとやってきたことが、最初に発揮されました。これで、彼も乗っていけたと思います」。
今年にかける覚悟や責任感が、ワンプレーに凝縮された。
「わぁ、運が良かった」 素直な感想に人柄があふれているが、本質は違う。このために、彼は努力を続けてきた。小さなつぼみは、凍える冬を幾度となく乗り越えてきたのだ。その度に、彼は強くなった・・・
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