鬼気迫る表情で9回のマウンドに仁王立ち。この男で負けたら仕方がないと腹をくくれる竜の守護神だ。1球1球に強い気持ちを込めて投げる熱さの一方、数値やデータを重んじて常に俯瞰的に物事を捉える冷静さもある。育成出身の26歳は、さらに遠くへ突き抜けようとしている。 取材・文=土屋善文(中日スポーツ) 写真=榎本郁也、BBM 「その他大勢」から
ファンに松山を連想する言葉を聞くと「ガンギマリ」と答える人が多いだろう。勝負の一瞬にのめり込み過ぎているような、危ないまでの目力を評して、いつからか松山を形容する言葉として定着するようになった。
「『ガンギマリ』って呼ばれている人って、これまでいるんですかね」 本人は苦笑いを浮かべていたが、あながち目指す方向性は違わないというのが真だろう。
「やっぱり狂いたいというのはありますよ。普通ではできないことをやろうとしているわけですから」 狂気を身にまとおうとする右腕は、どんな幼少期を過ごしたのだろうか。
2000年6月23日、青森県天間林村(現七戸町)に生まれた。体重は4200g。生まれたときから大きかったが、今のような野心とは無縁の子どもだった。
「プロ野球選手になれるとも、なりたいとも思ったことがなかった。青森の田舎にいると、プロ野球ははるか彼方、遠いところの話という感じでしたね。それに公務員志望でしたから。発言とか行動がぶっ飛んでるなんて言われたこともなかったですよ」 冬場の積雪は1メートルを超える。雪国の子どもらしく、雪かきに雪合戦の日々だった。
「雪かきも雪合戦も体全体を使うので、今の自分につながっている部分もあるかもしれませんね」 小学2年生から天間西ジャイアンツで野球を始めた。
松坂大輔(元
西武ほか)に憧れてポジションはピッチャー。中学では軟式野球部で球速は130キロを超えていたが、感覚としては「その他
大勢」だったという。八戸学院野辺地西高では145キロをマークするも制球に不安もあり、背番号1を背負うことはなかった。3年夏の大会では
堀田賢慎(現
巨人)を擁する青森山田高に敗れた。球速はそれなりに出るものの、まだ感覚的には「その他大勢」。敗れた日の帰り道、母に
「やり残したことがある」と頼み込み、八戸学院大へ進学することになった。
「もう少しやってみたい」といういたってよくある動機だった。それが2年生のとある日、自分の体の奥底からふつふつと湧き上がる何かを感じた瞬間がある。2学年上に
大道温貴(現
ヤクルト)がいた。八戸学院大のエースで、150キロ右腕として“快速王子”の異名でドラフトの上位候補として取り上げられていることを知ったときだった。
「大道さんはすごいんですよ。でも、いつも見てるわけじゃないですか。これは文字にすると失礼な言い方になっちゃうかもしれないんですけど、自分も何とかなるんじゃないかなと思っちゃったんです」 まったく関係ないと思っていたプロの世界が身近な先輩を隔てて、すぐ向こう側にあると感じた。勘違いかもしれない。でもこの勘違いに対価も費用もかからない。何と思おうと自由。その代わり、この直感を信じてあらゆることを尽くすと決めた。
感覚よりも数値
そのころに記した「目標シート」がある。25年の自分を「無双 日本の投手陣の柱」と定め・・・
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