北海道で生まれ育った少年の夢は、ファイターズの選手になること。回り道を経験しながらも、その夢を現実のものにした。プロ入り後、中継ぎとして投げるなかで紆余曲折あった。一時は野球ができなくなる可能性があったが、昨季見事にカムバック。リリーフ一筋10年目の右腕は、さらなる飛躍を見据える。 文=中田愛沙美(道新スポーツ) 写真=井田新輔、高原由佳、兼村竜介、BBM あこがれの球団に入りたい!
リリーフは決して目立つポジションではない。抑えて当たり前の過酷な役目を担い、長きに渡ってファイターズを支えている男がいる。本拠地のある北海道・佐呂間町出身の玉井大翔だ。2017年にドラフト8位で入団し、18年からは6年連続で40試合以上に登板。プロ入り後はリリーフ一筋で投げ続け、今シーズンで10年目になる。節目の年を迎え、野球人生を振り返ると山あり谷ありだった。
人口4500人ほどのオホーツク海に面した道東の町で生まれた。ホタテの養殖が盛んなだけではなく
「いろいろなものがおいしいんですよ。海産物はもちろんそうですし、カボチャも特産品なんです。お肉だったら、サロマ和牛とか。めっちゃおいしいですよ」。
そんな自然豊かな環境でのびのびと育ち、小学1年生のとき、兄の影響で野球を始めた。幼少期からピッチャー一筋。
「僕が先に野球をやっていて友だちを誘ったので、僕らの代だけ人数が多かった。小学校から高校、大学もそうですけど、メンバーに恵まれました」。エースでキャプテンだった玉井少年の夢は、もちろんプロ野球選手。
「そのときはずっとそう思っていました。中学校まではなるぞ、とずっと思っていましたよ」。
04年には北海道にプロ野球チーム・北海道日本ハムファイターズが誕生した。ジャイアンツファンだった玉井も、すぐに夢中になった。
「身近に球団がなかったので、うれしかったですね。最初は巨人ファンでしたけど、気付いたら1、2年後にはファイターズファンになっていました」。
ファンクラブに入っていた両親が、片道4時間以上かけて本拠地・札幌ドームに連れて行ってくれることもあった。そのときに購入してもらった
森本稀哲現外野守備走塁コーチのイメージカラーでもある緑色の扇子は、今も実家にある。
「ファイターズに入りたい」という思いは膨らむばかりだった。
夢を諦めかけそうになったときもあった。高校は故郷を離れ、旭川実高に進学。
「それも別にスカウトされたわけではなくて、旭川実高出身の先生が野球部の顧問をやっていたので、そのつながりもあってという感じです」。甲子園出場5度を誇る名門校で、現実を知ることになる。
「高校に入ったときは頑張れると思っていましたけれど、やっぱり時がたつにつれて・・・
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