田村龍弘が本格的に捕手に取り組み始めたのは、高校2年の秋だった。それから1年あまりでプロの世界へ飛び込み、4年でチームの正捕手の座をつかみ、5年で月間MVPを獲得してオールスター出場を果たした。圧倒的な成長曲線を描き続ける男の現在地とは――。 取材・構成=杉浦多夢、写真=阿部卓功、BBM 打撃開眼のきっかけ
――昨季から今季の5月までは打率が1割台と低迷していましたが、6月は月間打率4割をマーク、32安打を放って月間MVPに輝きました。打席でのアプローチに変化はあったのですか。
田村 伊東(勤)監督やコーチに言われてきたことを実践していく中で、結果がついてきたのかなと。バッターである以上は大きいのを打ちたい、ホームランを打ちたいというのは誰もが望むことだと思います。僕も高校時代はホームランをバンバン打ってきたというプライドがあって、絶対いつかは(高校時代のように)打てるようになると思ってやってきたし、大きいのを狙ったり、いいところを見せようという気持ちがずっとありました。ただ、それは間違いだった。コンパクトに逆方向へ打つ、というのはずっと言われてきたことだったのですが、6月になってあまりに打てないので、「これは何かを変えなければいけない」と思って変えたことで、結果が出るようになったのかなと思います。

長打という欲を捨てコンパクトな打撃を心掛けるようになったことで、ようやく結果がついてくるようになった
――
福浦和也選手からのアドバイスで、左目だけでボールを見るイメージから、両目で見るようなイメージに変えたと聞きました。
田村 ボールの見方についてはそこまで意識していないのですが、福浦さんに「ちょっとボールを覗きに行き過ぎだ」ということをアドバイスしてもらって。実はコンパクトな打撃を心掛けてからも、すぐには結果が出なかったんです。福浦さんはファームにいたのですが、電話をさせていただいて「当てにいこうとし過ぎて逆に当たらないんです」と相談したら、「当たらないときほどしっかり距離を取って」という話をしていただいて、次の日にそれを実践してみたら打てたので。福浦さんの打ち方をマネたと言ったらおかしいですけど、そういうイメージを持ちながらやっています。監督や立花(義家・打撃)コーチに言われてきたことと、先輩のアドバイスをミックスさせて結果が出たという感じですね。
――高校時代は強打で鳴らしていましたが、プロに入ってから打撃で結果が出ないことに思うところはありましたか。
田村 そうですね。やっぱり高校のときは長打が自分の持ち味で、そのためには振らないといけない。実際、
西武の森(友哉)はしっかり振って、高校のときのスタイルを変えずに結果を残しているので、自分もしっかり振って結果を出したいとずっと思っていました。でも、打率が1割台ではレギュラーになれない。それにキャッチャーが最低でも今の自分くらいの打率(8月28日時点で.252)を残していれば、チームも勝ちに近づく。だから、考え方をちょっと変えることで打てるようになったのはよかったなと思います。いくらキャッチャーは守りだと言っても、さすがに1割台ではね。打てるようになって代打を送られることも少なくなったので、あとはいかに今の形を維持していけるかだと思います。
“自分の考え”が大切
――キャッチャーというポジションに本格的に取り組み始めたのはいつからですか。
田村 高校3年の新チームになってからなので、高校2年の秋です。それでも練習試合では1試合目にキャッチャーをやって、2試合目はサードを守ったりしていました。プロに行きたかったので、キャッチャーだけではなく内野も練習しながら、ということです。引退してからはサードとセカンドの練習ばかりしていました。キャッチャーとしては守備に自信がなかったので、バッティングを生かすためだったら内野のほうがいいかなと思って。
――それが捕手で指名されてプロの世界に飛び込んだ。
田村 最初は自信がなかったです。でも当時
ロッテにいた山中(潔/田村が入団した2013年は二軍バッテリーコーチ)さんに、毎日付きっ切りで教えてもらって、そのおかげで自分でもキャッチャーらしくなったかなと思います。
――今の田村選手が考える「キャッチャーにとって一番重要なこと」は何でしょうか・・・
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