今年は開幕から異変続出である。オープン戦で6勝11敗と負け越した巨人は開幕2カードでも2勝4敗とつまずき、一塁に転向したはずの阿部慎之助がいつの間にか再びマスクをかぶるも走塁中に肉離れを起こし戦線離脱。昨年最下位のヤクルトが単独首位に躍り出れば、パで優勝候補の一角に挙げられていたオリックスは5勝14敗で最下位となっている。アメリカのオープン戦の最後を見るためにツアーに参加していたので、インターネットを見て日本のニュースに一喜一憂した今年の序盤戦であった。 開幕わずか6試合で阿部が捕手に復帰
巨人の
原辰徳監督は開幕前に「阿部が捕手に復帰することは99パーセントない」と言っていたが、残る1パーセントが開幕から6試合目に早くも起きた。
4月2日の
中日戦で先発した
相川亮二が右足太ももを痛め退いたので、阿部の復帰となったのである。2年目の
小林誠司がこの日を含めて8打数1安打ではすべてを任せるわけにいかず、一塁を守っていた阿部の復帰となった。翌3日の
阪神戦からマスクをかぶった阿部は全回出場して4打数2安打。この阪神3連戦は11打数7安打、その後も高打率を維持していた。

左太ももの肉離れで戦線離脱してしまったが、巨人の緊急事態を救うため捕手に戻っていた阿部
結果論になるが、打率が13年の.296から14年は.248にダウンし、本塁打も32本から19本と大幅にダウンしたことで阿部を一塁に転向させたのは早計であったとしか思えない。肉体的にはラクになっても、それが阿部にプラスになるとは思えない。
かつて
野村克也氏は「捕手をやっていたことで次の投球を読めるようになり、自分の打撃に大きなプラスになっていた」と言っていた。
“捕手としての”出場5傑はこうだ。
▽
谷繁元信 2938(2993)
▽野村克也 2921(3017)
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伊東勤 2237(2379)
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木俣達彦 1998(2142)
▽
古田敦也 1998(1998)
括弧内は全出場試合数 この5人は最後まで捕手一本できた。野村は一塁を6試合、外野を3試合、DHを32試合が、捕手以外に守ったポジションである。谷繁は一塁を1試合、伊東もDHで14試合、木俣は外野を41試合、一塁を8試合、古田は一塁と外野で1試合ずつ出ているだけだ。
ここまで捕手として今年の5試合をプラスして1766試合に出場している阿部だが、巨人の捕手の最多出場記録である森昌彦の1833試合(全出場記録は1884試合)を抜くのも目前である。仮に相川が戻ってきて、自身が復帰したとしても、捕手をあきらめるのはもったいない。
それよりも阿部には実現してもらいたい記録がある・・・
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