前途洋々、希望に胸をふくらませ、プロ野球の門をくぐる選手がいれば、ユニフォームを脱ぐ選手もいる。入団した選手とほぼ同数の選手が毎年去っていく厳しい世界である。今号ではそんな中で長きにわたって活躍し続けた2人の選手のプロ野球人生を振り返ってみたい。今シーズン限りで引退する、DeNAの三浦大輔とロッテのサブローである。 ハマの番長としてチーム愛を貫いた25年

日々のたゆまぬ努力で最後までマウンドに立ち続けた三浦大輔。その存在は後進の投手たちの良きお手本になった
三浦は1992年に大洋入り。その後、チームの名称は横浜、DeNAと変わったが、今シーズンまで25年間にわたって横浜を本拠地とするチームのマウンドに立ち続けた。投手の現役最多年数には29年間の
工藤公康と
山本昌の記録があるが、0勝に終わった年が工藤には84年、08年、現役最後の10年と3度ある。山本昌は初めの86、87年に加えて11年は一度も登板せず、最後の15年も0勝に終わっていた。
三浦はプロ入りした92年と現役最後の今シーズンは0勝で終わったが、93年から23年間にわたって連続してマウンドに立ち、勝利投手になっていた。入団4年目の95年から09年まで15年連続で100イニング以上。山本昌の連続100イニングは6年で3度(89~94年、96~01年、03~08年)ある。工藤も連続100イニングは7年連続(91~97年)のほかに、あと5年続けたのが一度だけ。三浦の15年連続がいかにすごいかが分かる。
400勝の
金田正一は50年入団で5526回2/3も投げており、4000イニング以上投げたのは8人いるが、その全員が69年までに入団した投手である。80年代に入団した投手では84年入団の山本昌が3348回2/3、82年入団の工藤が3336回2/3回が最多投球回数。それだけに先発ローテーション投手の役割が明確になった90年代以降にプロ入りした三浦が3276イニングも投げていたのは特筆すべきことだ。
三浦が大洋からドラフト6位で指名された91年11月22日のドラフト会議でプロの門をたたいた投手は50人いた。そのうちの1人は
オリックスが指名した愛工大名電高の
鈴木一朗である。いまなおメジャーの舞台でプレーしているイチローその人だ。プロ入りしてすぐに外野手に転向したので、ここでは投手としては扱わない。
投手で入団した47人のうち、3年目のシーズンを迎えたのは40人であり、初めの2年で早くも7人が淘汰されたわけだ。11年目の02年になおプロ野球でプレーしたのは10人とは10年間で37人がプロ野球界を去ったことになる。92年に入団した選手の79%がユニフォームを脱いだ計算である。08年には現役投手は3人と、プロ野球の世界はそれほどまでに厳しいのである。(A表参照)
完全燃焼して現役生活に幕を下ろす
20年後の11年になお現役で投げていたのは三浦と
石井一久(当時
西武)だけである。その石井が13年をもって現役を引退すると、三浦が92年に入団した選手ではただ1人の存在となった。
三浦はマウンドに立ち続けた・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン