今年の打者の日本人メジャー・リーガーは1人も規定打席に届かなかったが、投手陣からは「10勝投手」が3人も誕生した。ドジャース入りした前田健太、マリナーズの岩隈久志が各16勝で、ヤンキースで3年目を迎えた田中将大も14勝。さらにトミー・ジョン手術から戦列に復帰したレンジャーズのダルビッシュ有も7勝すれば、レッドソックスの上原浩治と田澤純一の2人も救援で存在感を発揮した。今回はメジャーにおける過去と今季の日本人投手の足跡をたどってみる。 
トミー・ジョン手術のリハビリから復帰したダルビッシュ有。2017年はさらに完全復調した姿が見られそうだ
写真=Getty Images “3階級特進”でメジャーに昇格した村上
2020年の東京オリンピックの準備が着々進められているが、日本人メジャー・リーガー第1号が生まれたのは、初めて東京でオリンピックが行われた1964年だった。
同年春に南海は若手の投打2人ずつの4選手をアメリカへ野球留学させた。その中から法政二高から前年に南海入りしていた
村上雅則がアリゾナ教育リーグで11試合(先発8)に登板して5勝3敗と力投。そこで村上1人がAクラスのカリフォルニア・リーグに残り、49試合(先発1)に登板して11勝7敗、防御率1.79の好成績を残すと、サンフランシスコ・ジャイアンツに昇格。その決め手となったのは106イニングを投げて159三振を奪った抜群の球威であった。A級からメジャーとは“3階級特進”である。
9月1日、地元サンフランシスコでのメッツ戦に8回裏の1イニングだけだったが、2人を三振、1人を内野ゴロに仕留めた。1安打を許したものの無得点に抑えた。当時のジャイアンツのアルビン・ダーク監督は「立派なルーキーだ。実力を発揮できればメジャー・リーガーとして使える」と語っていた。
メジャー1年目の村上は9試合に投げ、防御1.80で1勝0敗。当時はセーブの規則は採用されていなかったが、現代流に計算すると1セーブを挙げている。
だが、意気揚々と帰国した村上にとんだ大きな問題が待っていた・・・
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