
交流戦最下位になりながらも、首位・巨人と1ゲーム差の広島。まだ貯金が6つもあってリーグ戦再開。緒方孝市監督[左]の手腕の見せどころや。この広島を含め3強にDeNAが優勝争いに加わってくるはずや
ゲーム差というのはモチベーションにかかわるな
時が過ぎるのは早いもので、気がつけばシーズンも半分を消化した。球界ではオールスターが前後半の区切りとされてきたが、実際には交流戦が終わった時点で、前半が過ぎたことになる。
前半戦の最後……。これで思い出すことがある。話は古くなるが、1985年、
阪神が日本一になったシーズンや。このシーズンは広島、阪神、巨人の首位争いだった。そして迎えた球宴前の直接対決。広島との3連戦やった。対戦前、広島に2ゲーム差をつけられていた。そして1、2戦を落として、差は広がり4ゲーム差に……。ここで3戦目となる。広島市民球場から岡山に舞台を移した前半の最終戦よ。
オレは足を痛め、試合には出られなかった。代わりに出場したのがルーキーだった和田(
和田豊)で、彼は固め打ちの大活躍。さらに木戸(
木戸克彦)、平田(
平田勝男)の下位打線が働き、このゲームを取った。それで3ゲーム差に詰めて、前半戦を終えたのであった。
この試合のことは、吉田(
吉田義男)さんと会えば、よく話題に出てくる。当時、監督だった吉田さん。今でも付き合いは深く、同じゴルフ場のメンバーで、ゴルフを楽しんでいる。吉田さんはこう振り返る。
「あの試合、仮に負けていたら・・・
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