
野村さんが阪神の監督をされていたとき、オレは二軍監督を任されたが、直接会話したことがあまりなかったな。だが、野村野球を一軍監督になって大いに参考にしたよ/写真=BBM
天に召されたと聞いた瞬間あの試合のことを思い出した
実家が大阪・玉造。近くに大阪城、そして近鉄の本拠地だった日生球場もすぐそばにあった。当時はいつもガラガラの入り。確か試合が7回を過ぎれば、外野席が無料開放されていたと思う。だから小さなころは日生球場によく行ったものだ。
タイガースファンやったけど、とにかく野球が好きでたまらなかったから、パ・リーグの試合もよく見た。日生球場同様、よく足を運んだのが大阪・難波にあった大阪球場。そう、南海ホークスの本拠地である。実はオレ、ホークスと縁があった。小学4年生のとき、入会したのが「リトルホークス」というチームで、中学1年生の夏まで4年間、ここで練習したのである。
難波から南海電車に乗って中百舌鳥駅へ。ここにホークスの練習場があって、4年間泥だらけになって練習したものでした。当時コーチだったのが杉浦さん(
杉浦忠さんではない)という人で、とにかく厳しい指導を受けた。その杉浦さんは
野村克也さんと親しく、のちにマネジャーのような存在だったと記憶している。だから野村さんにまつわる話をよく聞いたし、いつの間にかパ・リーグのヒーローは野村さん……。そんな思いを持っていた。
◎
野村さんが天国に召された。突如の訃報だったが、頭に浮かんだのが
ヤクルトの監督時代のこと。そしてタイガースの監督時代のことやった。
ヤクルトと阪神。オレが現役時代、ヤクルトはそんなに苦手な相手ではなかった。左投手の梶間(
梶間健一)さんや安田(
安田猛)さんには苦しんだが、それ以外はよく勝っていたというイメージしかない。でも、そんな印象が一変したのは野村さんが監督に就任してしてからやった・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン