西鉄・稲尾と史上最高の新人王争い。惜しくも敗れたが、早々とプロに見切りをつけたことで「プロ野球ニュース」でMVP。 文=大内隆雄、写真=BBM 
大学で同学年だった立大出の大沢(左)は南海に。2人は、大物ルーキーとして期待された[56年]
61試合、21勝6敗、3完封、防御率1.06=1位
154試合=最多(全イニング出場)、180安打=最多、6本塁打、37打点、34盗塁、打率.289=6位
これは1956年のパ・リーグの2人のルーキーが残した数字である。前者は高校出の1年目。後者は大卒1年目。前者の被本塁打は262回1/3でわずかに2。後者は671回も打席に立ち、これはリーグ最多。
さて、これだけのデータを前に、読者のあなた、どちらを新人王にしたいですか?まあ、これほどの難問も、そうはないだろう。当時の投票権を持つ記者たちも相当迷ったのではないか。
ところが、有効投票数130のうち、前者が103も集め“圧勝”してしまった。前者が優勝チームの投手であり、後者は勝率3割5分の最下位(8位)チームの打者だったことが大きく影響したようだ。前者は西鉄・
稲尾和久投手、後者は高橋・
佐々木信也二塁手である。
この“結果”の感想を佐々木に聞いたことがあった。
「そりゃあ、稲尾君には勝てませんよ。9月半ばまでは私が本命と言われていたけど、そのころから・・・
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