巨人ブランドも阪神ブランドも関係ない。「小林繁」のみにこだわった男気のエース。多面的な魅力を持つ野球人。 文=大内隆雄、写真=BBM 79年の小林。後楽園より、この甲子園が似合ったと思うのだが、本人は「どうぞ自由にご想像ください」
あれは、「週刊サンケイ」がまだ発行されていたころだから、かなり前のことになる。その「週刊サンケイ」に小林繁は連載ページを持っていたのだが、あるとき「大内さん、オレのゴーストやってよ。もう、面倒くさくなっちゃった」と言った。筆者は、オイ、オイだった。新聞社系の週刊誌に連載を持つというのは、かなりのステータスなのである。小林も、もちろんよく分かっていた。原稿を本人が書いているのか、ゴーストライターに任せているのかは聞きもらしたが、この男には、1度イヤになったらもうダメ、というところがあった。
その少しあとだったが、日本プロ野球OBクラブの技術講習会のあと、彼の買ったばかりだというメルセデスに乗せてもらって帰ったのだが、新車は助手席の方にまでハミ出すセンサーだらけの車種で、何がどうなのかサッパリ分からない。小林は「オレも全部触ったことないんだ。何だか、スッキリしないデザインだよね。売っちゃおうかな。売っちゃおう!」。その後どうしたかは知らない。
小林は、83年に阪神を引退するとすぐにある放送局の専属解説者になったが、放送時間に遅刻するので問題になったことがあった。これも「つまらないな」と思ったら、そこでイヤになる小林らしさだった。
83年の唐突な引退がそうだった。この年、阪神で13勝。
工藤一彦と並びチームの勝ち頭だ。完封も3。まあ負けが14だったのは彼のプライドを傷つけたことは確かなのだが、それにしても、即引退とは。まだ31歳になっていなかった。
小林は、いつも自分の中に“やめたいマグマ”をため込んでいて、それが上昇してきて爆発したら、もうだれも止められないのである・・・
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