現在の原さん[写真]。いつまで経ってもあこがれの存在であり、僕にまた違った野球の楽しみ方を教えてくれました
僕が野球を好きになったのは
巨人ファンだった父親の影響が大きかったというのは、以前にもこのコラムでも触れましたよね。じゃあ僕自身が本当に野球の虜(とりこ)になったのはいつだったのかなと考えると、小学校に入るか入らないかの5〜6歳のときだったと記憶しています。
僕は残念ながらリアルタイムで
長嶋茂雄さんの現役時代を見たことがないのですが、
王貞治さんは少しだけテレビで見た記憶が残っているんです。それがおそらく5〜6歳のときだったかと……。ただ、王さんはその時点でもうすでに球界を代表する選手になっていたので、どういう過程を経て、スーパースター選手になったかというところまでは知らずに漠然と「すごいなあ」と思いながら当時は見ていました。
そういう意味では自分にとって一番最初の“スーパースター”として鮮烈な印象を与えてくれたのが
原辰徳さんです。東海大相模高の四番バッターとして活躍し、甲子園のヒーローとなった原さんが、そのあと東海大に進学し、巨人入団までの道程をもちろん途中からですが、子どもながらに追えたので。だから「原さんはいったいどの球団に入るんだろう」とドキドキ、ワクワクするあのドラフトの高揚感や醍醐味を味わったのも原さんが最初だったんです。それをきっかけに、プロに入るまでのプロセスを追うことが面白くなって、高校野球や大学野球にも興味を持つようになったんです。
同時に僕自身も「じゃあ、将来プロに入るためにはどこの高校に行けばいいのかな……」なんてばかげた夢かもしれませんけど、本気で考えるようになったのも原さんがきっかけでした。僕が小学生のときは神奈川県では東海大相模高よりも横浜高や“Y校”こと横浜商高が人気も実力もあったので、Y校に行って甲子園で活躍して原さんみたいにプロに入るみたいなシミュレーション(妄想ですが)を勝手に頭の中でいつもやっていました(笑)。
ほかにも原さんに魅かれた理由が東海大相模高で監督を務めていたお父さんである原貢さんがとても厳しく、その息子との“親子物語”みたいなものが、僕的にはすごくうらやましかったからなんです。「僕もお父さんとそんなふうになれたらいいなあ……」と原さんの境遇にあこがれを抱いていたのはいまもすごく覚えています。
いずれにしてもプロに入ってからの活躍だけではなく、プロに入るまでの物語を追うことの面白さを教えてくれた、感じさせてくれたのが原さん。その日のゲームの勝敗だけでなくて、それぞれの選手たちの背景にある知られざる人間ドラマや境遇も知ることで、よりプロ野球を楽しむことができますし、その視野を広げてくれた人だったんです。
現役時代の原さん
そんな原さんが令和という時代の幕開けの年に巨人の監督に電撃復帰。今度はどんなプロ野球の面白さを伝えてくれるのかなと、1人の野球ファンとしてこれからもしっかりと見届けていきたいと思っています。