ピッチャーとしてプロの世界で大成はできなかったが、打撃投手として長くチームに貢献してきた。その座を退いた後も用具担当として尽力する毎日だ。スワローズの黄金時代を目の当たりにしてきたからこそ、チームの勝利を誰よりも願い、骨身を削りながら必死に選手たちを支え続けている。 取材・文=富田庸 写真=井田新輔 
チーム運営部一軍用具兼クラブハウス管理主事◎48歳/勤続26年
駆け出しの裏方として
ナイター開催日の昼前。神宮球場一塁側のクラブハウス駐車場がまだ空いている時間帯から、村田さんほか
ヤクルトの球団スタッフがせわしなく動いている。これが日常の光景だ。
「試合がある日は、出勤したらまずクラブハウスを解錠し、各種点検を行います。ロッカールームに監督、コーチ、選手のユニフォームがきちんと配られているかなどの確認です。そしてホワイトボードに記入してある選手の練習開始時間を確認し、12時からスタートする早出練習の準備をします。選手の球場入り時間はまちまちですが、若手選手はだいたい早いですね」
14時前後から全体練習が始まると、打撃マシンの設置やボール拾いといった、選手がローテーションで行う練習を円滑に回すためのサポートをする。そしてナイターが始まればいったんクラブハウスに戻り、モニターで試合を見ながら事務作業に移る。メールをチェックし、メーカーへ必要な用具を発注。また、試合中に何か起きれば、グラウンドへ足を運ぶこともあるという。
大阪府東大阪生まれで、小学2年時に野球を始めて以来、投手一筋の野球人生を送ることになる。盾津高では2年春からエースとなり、3年夏には「エースで四番」という大黒柱として、大阪大会16強入りを果たしている。「本当は打つほうが好きだったんですけどね」。村田さんは当時を回想して笑う。
進学を希望していたが受験に失敗し、浪人することに。だが、これがプロ入りするきっかけとなる。クラブチームでプレーする姿がスカウトの目にとまり、1991年にドラフト外でヤクルトに入団した。
だが、「投手・村田」がプロで勝負するには、実に難しいタイミングだった・・・
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