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野球文化の創り手たち

<Baseball Specialists>アナウンサー・吉井祥博「入念な事前準備を元に常に最高の実況を伝える」

 

野球の試合観戦を楽しむ方法は大きく分けて二つ。一つは、球場で観戦すること。もう一つは中継で楽しむこと。実際には後者で楽しむことの方が多いのではないだろうか。画面越しでは伝わらない情報もあるが言葉に載せてそれを届けてくれるのが実況だ。その裏には入念な事前準備がされている。
取材・文・写真=早川大介

アナウンサー・吉井祥博


原点は父とのやりとり


 刻一刻と変わり続ける試合展開だけでなく、グラウンドに立つ選手の表情や、スタンドを包み込む球場全体の空気までも、臨場感を失わずに言葉で伝えていく。プロ野球でも高校野球でも、試合中継において欠かすことのできない存在が実況アナウンサーだ。吉井祥博氏は、神奈川県を中心に放送されているテレビ神奈川で30年間、野球を中心とした実況アナウンサーとして活動を続けてきた。その実況はベイスターズ愛、そして高校野球愛にあふれ、神奈川の野球ファンから長年親しまれてきた。横浜スタジアムでは観客から「吉井さーん!」と声を掛けられることもしばしば。まさに神奈川野球界の名物アナウンサーと言えるだろう。

 そんな吉井氏がアナウンサーを志した原点は、まだ幼かったころにある。当時は地上波で野球中継が毎日のように放送されていた時代だった。放送枠は21時までと決まっていたが、試合が終わらない場合には延長され、21時20分ごろまで放送が続くことも珍しくなかった。しかし、それでも試合が決着しない場合は、テレビ放送が終了し、残された情報源はラジオだけ。東京都江戸川区で印刷業を営んでいた実家で、遅くまで働く父にラジオで得た試合経過を伝えることが、幼い吉井氏の日課になっていた。「このとき『物事を伝えるって面白いな』と感じたことが、今思えば自分の原点だったのかもしれません」と吉井氏は振り返る。父に試合の様子を伝える体験が、やがて職業として「実況」という道に結びついていくのだ。

 同時に吉井氏自身も野球そのものに強く惹かれていった。最初は自宅近くのバッティングセンターで、的に当てるホームランを打つと後楽園球場や神宮球場の外野自由席券がもらえたことで、球場へ足を運んだ。だが、それだけでは物足りず、やがて自ら出向くようになった。そうして野球にのめり込むなかで、高校から大学への進学を控え、将来についても少しずつ考えるようになっていった。

「当時は『伝える』ことに面白さを感じていました。ただ、まだ明確にアナウンサーを目指していたわけではなく、野球やスポーツを間近で見られる職業に就きたいと思っていました。新聞社に就職する先輩が多かったこともあり、早稲田大学第一文学部に進学しました。当時の感覚では『新聞記者になれたらいいな』くらいの気持ちだったんです」

 多くの大学に学生スポーツ新聞があるように、早大にも「早稲田スポーツ新聞会」が存在する。しかし吉井氏が選んだのは放送研究会だった。

「友人が放送研究会に入ると聞き、軽い気持ちでついて行ったんです。特にしゃべりに自信があったわけではなく、少し人前で話せるようになればいいかな、という程度でした。放送研究会には・・・

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