
私の学生のころのスターの一人、原さん[写真]と巨人でプレーしたことは光栄でしたが、キャンプでもさまざまな伝説がありました。一部公開しちゃいました。すいません、原さん/写真=BBM
大人の対応をされた巨人のキャンプ。ベテラン組に入った1995年は本当に練習時間が短く、お昼過ぎには練習が終わり、お風呂に入って午後には宿舎に戻っていました(苦笑)。
夕方になるともう宮崎の繁華街に繰り出していました。当時ちょうど細かい絵が描かれている図の中にウォーリーという紅白のストライプの服を着た男性を探すという「ウォーリーを探せ」が流行っていましたが、それになぞらえて巨人選手の間では、どこに私がいるか分からないので「デーブを探せ」と言われていたそうです(笑)。それくらい夕食時は外に出ていました。
今だから言えますが、夜の門限がありましたので、繁華街に行く前にジャージとバットを気付かれないホテルのタクシー乗り場近くに配置し、こっそり帰ってすぐに着替え、ずっとバットスイングをしていましたよ、ってふうで部屋に帰っていました(笑)。当時、夜の街灯の下でバットスイングをする選手も多かったですから、それをうまく利用したというか……。ただ、本当に門限を破ったことは数えるほどです。でも選手としてはダメなことをしていました。
そのおかげ?で宮崎の繁華街は隅々まで知っていますし、多くの方と知り合いになり、美味しいモノをいただきました。それが現在の「肉蔵 でーぶ」に生かされていることも事実。しかし、こういうことをしていたら選手生命は確実に短くなります。大人扱いをされながら、自分に甘えてしまったことで、引退が早くなったことも事実なんですね。
ほかに巨人時代のキャンプで驚いたのは、やはり原(
原辰徳前巨人軍監督)さん。先週話したとおり1人部屋でした。しかもその部屋は8畳の和室。原さんはベッド派の方だったので、その部屋にベッドを持ち込んだのです。皆さんに聞きたいのですが、普通の人ならベッドをどこに配置しますか?
原さんの部屋にお邪魔させてもらい、その配置を見てビックリしました。
なんと部屋のど真ん中にベッドがドーンと置いてあるんです!何とも不思議な感じ。後輩の後藤(
後藤孝志)がゲーム好きで、それに原さんも付き合うんですが、そのときに原さんの部屋を使うんです。私も部屋によく呼んでいただきました。しかし、当時はそこまで部屋をきれいにされている感じではなかったですね。
一度だけ「もしよかったら少し部屋を片付けましょうか?」と申し出たことがあるんです。そこで原さんが「デーブいいかあ?ベッドに入るだろ?上を見て寝るだろ?そうすると下は見えないんだよ」と言われたんです。これにはつい笑ってしまいましたが、さすがスーパースターの原さん的発想だと思いましたね(笑)。
そういう楽しい思い出が多い巨人キャンプですが、逆にプロとしての在り方を問われていた部分が多かった、とも言えます。そこで私は楽しさに流されてしまったんです。
PROFILE おおくぼ・ひろもと●1967年2月1日生まれ。茨城県出身。水戸商高から85年ドラフト1位で
西武に入団。トレードで巨人入りした92年に15本塁打。95年現役引退。野球解説者やタレントを経て、2008年に西武コーチに就任し日本一に貢献。12年からは
楽天打撃コーチ、二軍監督を経て15年に一軍監督に就任した。15年限りで辞任し、今年から野球解説者をこなしながら新橋に居酒屋「肉蔵でーぶ」を経営している。