
巨人時代の鹿取さん(左は山倉捕手)
4月1日、かねてからウワサになっていたが、巨人のGM特別補佐に
鹿取義隆さんが就任するという記事を読み、すぐお祝いの電話をした。
いつもように「おう、どうした?」と明るい声がして、「おめでとうございます」と言うと、少し照れた口調で「ありがとう」と答えてくれた。
『週刊ベースボール』を愛読いただいている方なら、ご存じだろうが、解説者・鹿取さんの登場回数はかなり多い。右のサイドハンド投手で、明大から1979年ドラフト外で巨人に入団(
江川卓投手が同期)。以後、リリーフ投手としてフル回転し、左のサイドハンド・
角三男とともに
サンチェにつなぐ中継ぎとして、また自身が抑えとして活躍した。90年から移籍した
西武でも、
潮崎哲也、
杉山賢人とともに〝サンフレッチェ〟と言われた勝利の方程式の一角となり、黄金時代を支えている。
現役通算755試合もの登板を果たした鹿取さんのハイライトとも言えるのが、巨人が
王貞治監督の下で優勝を飾った87年だろう。リーグ最多の63試合に投げ、7勝4敗18セーブ、防御率1.90。結局、
山倉和博捕手が手にしたが、MVPの有力候補とも言われた。
イニングはなんと94回2/3。もちろん先発は1試合もない。その年だけではなく、リリーフでありながら83年から5年連続80イニング以上の登板と投げまくった鉄腕でもある(86年は101イニング)。いまでは信じられない数字であるが、当時でさえ、鹿取さんの起用は異常に映り、〝酷使〟と王監督が批判された時期もある。
引退後の取材で「鹿取さん自身に〝酷使されている〟という気持ちはあったんですか」と尋ねたことがある。すると鹿取さんは目を見開いて、「とんでもない。使ってもらってありがたいという気持ちしかなかったですよ。あのころがあったから、みんな僕を覚えてくれるわけですし」と答えた。
取材をたくさんさせてもらったのは、豊富な経験と知識の持ち主だけだからではない。気さくで、誰に対しても偉ぶらない人柄にひかれたこともある。
GM特別補佐として、鹿取さんなら、きっと素晴らしい仕事をしてくれると思う。さらに球団フロントの上層部に、もっともっと元選手が増えていくきっかけになれば、とも思う。
井口英規(週刊ベースボール編集長) 写真=BBM