
巨人移籍第1号。ポテンシャルは高く評価されていたが……
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は4月23日だ。
1993年春、球界は待ちに待った
長嶋茂雄監督の巨人監督就任で沸きに沸いていた。前年秋のドラフトでは1位で、自ら
松井秀喜の交渉権を引き当て大きな話題となったが、巨人ファンも微妙な反応を示したのが
ヤクルトから金銭トレードで長男・
長嶋一茂を獲得したことだ。
しかも、91年に67試合出場で打率.221と低迷した一茂を長嶋監督は開幕から「六番・レフト」のスタメンに抜てき。それでも開幕2戦目にタイムリーと、まずまず無難なスタートは切った。その後、打撃低迷でスタメンから外れたが、4月21日には二軍と一軍で“親子ゲーム”に出場。あこがれの巨人、しかも夢だった親子でのGのユニフォーム……必死にはい上がろうとする執念は感じた。
迎えた23日の
阪神戦(甲子園)。
原辰徳が左ふくらはぎ痛で離脱すると、
中畑清コーチから「調子が上がっているという報告を受けていた」という長嶋監督は迷わず一茂をスタメンサードで起用。すると5打数3安打、2打点、1盗塁で期待に応え、2打席目には
仲田幸司から移籍第1号アーチ。実は、これがセ・リーグの記念すべき3万号本塁打でもあった。
一茂は結局、同シーズンの本塁打はこれ1本。その後もスタメン定着はならず、96年オフ、長嶋監督自ら「戦力外通告」。引退し、普通の親子に戻った。
写真=BBM