
1975年、巨人とのオープン戦で。中央がルーツ監督、右が長嶋茂雄監督、左がのち後任監督となる古葉。長嶋新監督率いる巨人は最下位となっている
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は4月27日だ。
4月19日の
DeNA戦(マツダ
広島)で、
緒方孝市監督が審判の
ジャッジに猛抗議し、退場となった。そこから一気にチームの勢いもかげってしまったが、“監督の退場”はカープにとって決して縁起の悪いものではない。
時代はさかのぼり1975年4月27日、対
阪神ダブルヘッダーの第1試合(甲子園)。8回裏、広島・
佐伯和司の外角への際どい球をボールとジャッジされた際、広島のジョー・ルーツ新監督がプツンと切れて、球審に向かい、突進した。もともと“瞬間湯沸かし器”タイプで、開幕以来、何度となく審判団とトラブルを起こした“前科”もある。
ルーツは球審に100キロの巨体を押し付け、ネット裏近くまで押し込み、間に入った一塁塁審に対し、ヒジで二度、三度と突く。
もちろん、退場宣告となったが、ルーツはホームベース付近から動こうとしない。ガンコオヤジに手を焼いた審判は、ネット裏にいた広島の重松良典球団代表に救いを求め、さすがのルーツも重松代表の説得で退いたかに見えたが、ベンチ裏で「グラウンドの全権は監督にある。代表がグラウンドに入ってくるのは越権行為だ」と怒りまくり、第2試合の指揮を放棄し、ホテルに帰ってしまった。
しかも、しかもだ。ルーツは、なんとそのまま退団してしまう。その後、
野崎泰一コーチの代行をはさみ、
古葉竹識コーチが監督昇格。以後、広島は歓喜の初優勝に向け、突き進むことになる。
つまりカープファンよ、ご安心を。広島の監督退場は縁起がいいのだ……。あっ、“ベース投げ”の
マーティ・ブラウン監督がいたか(2006年から09年。5位、5位、4位、5位)。
写真=BBM