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先発転向初勝利の中日・又吉克樹で思い出した伝説の竜戦士2人

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先発としても適性を発揮している又吉



 4月27日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)で、中日又吉克樹が7回無失点で勝利投手となった。「中継ぎとは違った達成感を味わうことができました」と試合後の又吉。これが先発転向後3戦目での初勝利だった。別に先発になじまず、KOが続いたわけではない。好投を続けながらも、打線の援護に恵まれなかっただけだ。この試合でリーグトップだった防御率は0.88となった。

 又吉は四国アイランドリーグplusから2014年中日入団。中継ぎとして入団から3年連続60試合以上と投げまくったが、今季は開幕前に森繁和監督が先発転向を明言。リリーフ登板からスタートし、4月13日のヤクルト戦(神宮)で初先発を果たしていた。

 中日は70年代から近藤貞雄投手コーチ(のち監督)の下、継投野球をいち早く取り入れたこともあり、リリーフから先発というパターンが歴史的にも多い球団だ。その代表が鈴木孝政小松辰雄である。2人は、いまなおドラゴンズファンの間で「球団史上最速は2人のうちどちらか」と言われる快速球投手だった。

 鈴木はプロ2年目、74年のⅤイヤーにリリーフとして台頭。75年から3年連続最多セーブをマークしているが、その3年とも規定投球回に達し、76年には最優秀防御率にも輝いている。しかし78年途中、明らかな“投げ過ぎ”でヒジを壊し失速。82年からは技巧派にモデルチェンジして先発に転向し、84年には16勝を挙げている。

 鈴木の離脱後、79年に抑えに定着したのが、プロ2年目の小松辰雄。150キロ超の速球を連発し、当時球場に設置され始めた“スピードガンの申し子”とも言われた。その後、抑えの座に牛島和彦が台頭したことで、83年から先発に定着。鈴木と違って故障しての転向ではなかったこともあり、最後まで速球にこだわりながら、最多勝2回、最優秀防御率1回を獲得している。

 鈴木が通算124勝96セーブ、小松が122勝50セーブ。継投野球というと、投手の肩を守るイメージがあるかもしれないが、当時はまったく違った。イニングまたぎなど当然で、時には先発もある。言い方は悪いが、若く球の速い投手をまさに“つぶれるまで使う”野球だった。

写真=川口洋邦

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