球場に救急車が入り、佐野を運ぶ
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は4月29日だ。
4月22日の
ロッテ戦(ZOZOマリン)で
オリックスの右翼手・
ロメロがファウルボールを追ってフェンスに激突。左ヒザを負傷し、担架で運ばれ、登録抹消となった。ここまで5本塁打、12打点をマークしただけに、オリックスにとって痛い、痛い離脱だ。
ただ、1977年4月29日に起きた事故は戦力的マイナスとか長期離脱とか、そういうレベルではなく、「球場で人が死んだ」と多くの観戦者が思ったほどの衝撃だった。
大洋―
阪神戦(川崎)の9回裏だった。飛球を追った阪神のレフト・
佐野仙好が外野フェンスに激突して昏倒。当時のフェンスにはラバーが張られておらず、コンクリートの壁に全力疾走で、しかも頭から突っ込んだということだ。「ゴツン」という鈍い音はネット裏の記者席にまで聞こえたと言われる。
それでも佐野はボールを離さず、捕球が確認されて打者はアウトとなったが、この混乱の間に、タッチアップした一塁走者はホームイン。佐野がグラウンドに乗り入れた救急車で病院に運ばれた後、阪神の
吉田義男監督は「選手の命にかかわる事態。ボールデッドだ」と34分の猛抗議をしたが受け入れられず、提訴を条件に試合は再開された。
佐野は前頭部骨折の大ケガながら、幸い命に別状はなく、オールスター後の7月3日に復帰。その後、ふたたびスタメンも確保した。もともと負けん気が強いファイタータイプ。さらに本職はサードながら同期入団の
掛布雅之の成長で前年の秋季キャンプから外野に転向し、まだまだ守備に慣れていなかったことも原因の一つとなった。
5月12日に提訴は却下されたが、実行委員会で全本拠地球場のフェンスにラバーのクッションを張ることが提案され、全球場が了承。7月26日の野球規則委員会で「プレーヤーの人命にかかわるような事態など、プレーを中断すべき事態であると審判員が判断したときには、プレーの進行中であっても、審判員はタイムを宣告することができる」という項目が野球規則細則に追加された。
写真=BBM