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球界紳士とも言われた別当監督だが、意外と熱い人だった。右は土井正博
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は6月7日だ。
もちろん、いいことなのだが、近年、日本のプロ野球で激減しているのが、「乱闘」。メジャー・リーグではいまだに殴り合いが頻繁にある。これは時代というより、国民性もあるのかもしれない。
今回は1964年6月7日、大阪球場で起こった乱闘事件を紹介する。南海─近鉄、ともにいまは球団名が残っていないチーム同士の戦いだ。
事件は2対1、南海が1点リードの9回表に起こった。内角を徹底して攻める南海・
スタンカの投球スタイルもあるが、危険球が多発し、両軍一触即発の雰囲気の中、スタンカが投じた1球が死球かファウルかでまずもめた。これは死球で、ひとまず出塁。その後、二死満塁で、また際どい1球。今度はファウルの判定となったが、怒った近鉄・
別当薫監督はナインを全員ベンチに引き揚げさせた。
その後、一度は再開したが、ふたたび球審に何やらクレームをつけた別当監督に、巨漢のスタンカが突然、飛びかかり、両軍入り乱れての大乱闘。ついには警官隊が降りてくる騒ぎとなった。その後、スタンカ退場で再開したが、ふたたびもめ、今度はケンカ八郎とも言われた近鉄の
山本八郎がバットを振り上げて南海ナインに向かう騒ぎとなった。
試合は結局、南海の勝利に終わったが、大阪のプロ野球ファンの中にひそかに広がったウワサが、「別当はん、けっこう強いやん」というもの。2メートル級の巨漢スタンカの突進に対して腰を下げてしっかり受け止め、振り回されても最後まで投げられなかったからだ。
慶大出身で、現役時代からメガネがトレードマークだったジェントルマン。プロ野球人生最大の武勇伝だった。
写真=BBM