
ベンチで仲間を鼓舞する服部(左)。背番号10の力が必要となるときは必ず来る
6月26日に発売した『第99回全国高校野球選手権東・西東京大会展望号』では、東大会(134チーム)と西大会(128チーム)の全出場校の戦力分析、注目選手を掲載している。
早実・和泉実監督は百戦錬磨の指揮官である。初の全国制覇へ導いた2006年夏は
斎藤佑樹(現
日本ハム)、そして15年4月から
清宮幸太郎を指導。名門校を率いる重圧だけではなく、スター選手を抱える多くの心労は、当事者にしか分からない。
常に見られる立場であり、マスコミ対応にも慣れている。だからこそ、本音を引き出すのは非常に難しい。
夏の展望取材。約30分のインタビューで唯一、素顔をのぞかせた場面があった。
3年生・服部雅生の話題を振ったときだ。主将・清宮幸太郎と同じ身長である184センチ右腕は2年前の春、入学式から3日後の都大会3回戦から背番号20のユニフォームを着た(清宮は19)。当時の1年生は二人のみであり、入学式を待って(連盟規定により登録できない)、満を持してのメンバー入りだった。
4強に進出した同夏の甲子園でも登板。1年秋以降は主戦としての活躍が期待されたが、高い潜在能力からすれば、実力を発揮し切れていないのが現状である。
2年秋以降は副主将。同ポストの外野手・福本翔とともにキャプテン・清宮を陰から支えてきた。服部は先発で途中降板したとしても決して下を向かず、ベンチでは誰よりも大きな声を出してナインを鼓舞。チームへの熱い思いは、写真の表情からも十分、伝わってくる。
6月17日に行われた組み合わせ抽選会の時点で、服部の背番号は「10」だった。昨年11月の神宮大会に続き、エース番号を後輩(春以降、捕手から中堅手、そして投手にコンバートされた2年生・
雪山幹太)に奪われた。
もちろん、上級生のプライドはあるが、背番号で野球をやるものではない。第1シードの早実は甲子園出場まで、6試合を勝ち上がらなければならず、服部の力を借りなければいけない場面は必ずくる。
和泉監督はチームにおける服部の存在を「努力家」と言った。そして「完璧主義者」とも。理想を思い描き、ストイックなまでに自身を追い込む。そんな服部の生真面目な人柄は、学内でも有名だ。こんなエピソードも。廊下で顔を合わせた校長先生までもが「最後の夏、目いっぱい、楽しんで!!」と激励したというのだ。
肩の力を抜けば良い。本人も重々、理解している。分かっているが、実践は難しい。きっかけをつかむだけなのだ。和泉監督は言った。
「経験から言えば3年間、野球に没頭してきた選手が、最後の夏にずっこけたケースはない。持ち直してくれると信じる」
特定の選手に対して、和泉監督が「感情」を表に出すのは異例。野球の神様は絶対、努力を見逃さない――。集大成の夏。練習の虫・服部の投球は見ている者を熱くさせる。
文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎