
号泣しながらも審判に向かっていこうとする村山。それを止める背番号25が山本
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月11日だ。
日本のプロ野球史を彩る多くの大投手のなかで、
阪神・
村山実ほど「魂を込めた」という言葉が似合うピッチングをした男はいない。悲壮感ただよう表情で全力投球。当時の長距離走者の名前から「ザトペック投法」とも言われたフォームで
巨人、特に
長嶋茂雄に牙をむいた。
1963年8月11日は、村山の“涙の抗議”と語り継がれる試合があった日だ。巨人とのダブルヘッダー第2試合(後楽園)、同点の7回裏一死二、三塁の場面から村山が救援登板。前日の巨人戦では2安打完封勝利。いまなら信じられない起用だ。
カウント2ボール2ストライクからの5球目、村山は内角低めに自信を持ってストレートを投げ込んだが、国友球審の判定は、「ボール」。激高した村山は球審に詰め寄り、「どこがボールや。ワシは命がけで投げているんや。あんたも命がけで判定してくれ」と叫んだ。
その剣幕に押されたか、国友球審はすぐ退場を命じた。だが、村山はさらに興奮し、国友球審に迫る。この際、国友球審の左手が飛びかかろうとしたように見えた村山のアゴを殴る形になった。今度は、阪神の藤本定義監督らも飛び出し、「球審も退場にすべき」と抗議を始めた。村山は涙ながらに「ワシは、なにもしていない」と主張。涙が止まらず、右腕で拭いながらの抗議を続けた。
泣きじゃくる村山を必死に引き留めていたのが、59年、伝説の天覧試合でもバッテリーを組んだキャッチャーの
山本哲也だ。村山は先輩の山本を兄のように慕った。
「グラウンドでの、あの子(山本はそう言った)は怖いほど集中していましたね。僕も打たれると、『なんであんなリードをしたんですか』と食ってかかられたことがよくあります。翌日になると恥ずかしそうな顔をして謝りに来たけど、こと野球になると先輩も後輩もなかった」
結局、村山は5球を投げたのみで退場。打者の打席を完了させていない状態だったため、本来なら交代できない状況での珍しい退場でもあった。フルカウントから救援登板することになった
牧勝彦は1球目でストライクを取り、1球三振の珍記録。試合は延長戦となるも阪神が3対2で勝利した。
写真=BBM