1977年、今から40年前、大げさではなく、日本中がプロ野球に熱狂した時期がある。王貞治のハンク・アーロンが持つ当時のメジャー最多記録通算755号本塁打への挑戦だ。アーロンはブレーブス、ブリュワーズで76年まで現役を続けたホームランバッターだが、その引退翌年に王が世界記録を狙うのも、面白いめぐり合わせではある。週刊ベースボールでは、9月3日、756号の世界新記録達成までのカウントダウンを当時、王がホームランを打った日に合わせながら、写真とともに振り返る。 「最近は俺が打っても負けてばかりだな」

王はもともと平松をカモにし、通算では25本塁打。出迎える背番号10は張本勲
8月9日からの
中日3連戦(ナゴヤ球場)で4本塁打と好調を維持し、本拠地・後楽園に戻った王。移動日なしで12日の大洋戦だ。球場に着き、1時間ほどの間にソバをかき込んだ後、すぐ練習へ。さらに夕方5時から、この年の12回目とすでに恒例になっていた都内の中学の新聞部代表30人による囲み取材に応じた。
「とにかく、その日その日を悔いのないように過ごしたい」
大人の記者でも、子どもの記者(?)でも、どんな質問にも誠実に答えるスタイルはいつも変わらない。中学生のマメ新聞記者たちは、その後も代表者以外も含め200人ほどが客席で観戦したという当時の新聞記事があったが、これもまた、時代を感じさせる。いま中学の新聞部というのは、どのくらいあるのだろうか。
3回一死には、大洋のエース、
平松政次から弾丸ライナーでライトスタンドに飛び込む2ラン。これが通算749号、シーズン33号で、4試合連発となる。
「王さんにはタイミングが合っているから歩かせたかったが、勝負に行ったスライダーが真ん中に入ってしまった」と平松。5回には右中間へ二塁打を放ち、18年連続100安打以上もマークした。
ただ、王は3打数2安打と好調だったのだが、直近で6連勝していた大洋相手に3対4の敗戦。平松は完投勝ちで8勝目を挙げている。
王が4試合連続本塁打の間は1勝3敗。V2に向け、すでに2位に大差をつけての独走ながら、「最近は俺が打っても負けてばかりだな」と、王も苦笑していた。
ともあれ、世界新まで、あと7本だ。
<次回に続く>
写真=BBM