
味方もカブレラ(背番号42)を必死で引き留めた。一歩間違えれば大乱闘になっていたかも……
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月13日だ。
13連勝で一気に
楽天、
ソフトバンクという2強の牙城に迫った
西武。8月の連勝では、西武として9度目の日本一となった2004年に7連勝があった(8月7日から14日)。
この年、もともと開幕前の下馬評はそれほど高くなかった西武だが、このときはさらに大きな戦力ダウンに見舞われていた。故障者ではない。アテネ五輪日本代表としてエースの
松坂大輔、主軸の
和田一浩が抜け、さらに先発ローテの一角、
張誌家も台湾代表になったのだ。主力3人の穴は他チームと比べても大きいと思われたが、その危機感が連勝の原動力となったのかもしれない。
今回は、この中から8月13日、6連勝目の
日本ハム戦(西武ドーム)の試合を取り上げる。先発の
西口文也が7回二死まで無失点の好投で2年ぶりの2ケタ勝利となる10勝目、通算1500投球回にも達した試合だ(4対0)。
「真っすぐのキレが戻ってきた。勝ってよかった」と西口。実は、登板中に右内転筋に強い張りを感じていたが、淡々と自分の責任を果たし、
伊東勤監督も「十分に持ち味を発揮してくれた」と称賛した。
ただ、西口降板後、ひと波乱あった。スコアではない。7回裏、日本ハムの
伊達昌司が投じた1球がカブレラの左腕に当たるとカブレラがマウンドに猛突進し、伊達への威嚇行為で退場となった。あまりのすさまじい勢いに、西武ナインも間に入って必死に引き留めたのもよかった。乱闘にはならず、翌日以降の出場停止もなし。翌日の同カードも先発出場し、2発4打点の活躍で7連勝に貢献している。
ただし、この連勝でも順位は首位・ダイエーを抜けず、勝率2位のままだった。結局、西武は2位で閉幕したが、プレーオフで日本ハム、ダイエーを撃破し、当時のルールでリーグ優勝となっている。さらにその後、
中日との日本シリーズにも4勝3敗と勝利し、伊東監督は就任1年目で日本一に輝いている。
写真=BBM