
元プロの中村監督は母校・天理を率い、初めて甲子園でさい配した
大一番を前にして天理・橋本武徳元監督はかつての教え子のため、帽子のひさしに漢字一字を書いた。
「笑」
ありがたい言葉だった。同校を率いる
中村良二監督は1986年夏、天理初の全国制覇時の主将である。
卒業後は近鉄、
阪神でプレーし、引退後は天理大での監督を経て、2014年に天理高へ戻ってきた。そして15年秋から監督としてチームを指揮。以降、甲子園出場のチャンスを3季連続で逃して
きた。その間、奈良県内の永遠のライバル・智弁学園が16年春に初めてセンバツを制し、今春まで3季連続甲子園出場。甲子園制覇3度(春1、夏2)の名門は後塵を拝してきたわけだ。
中村監督は「天理史上最高のキャプテン」と言われた。抜群のリーダーシップに求心力。強豪復権のため、「鬼」となった。自ら言う。
「温厚そうに見えますが、選手に聞いてもらっても、まったく違う、と言うと思いますよ(苦笑)。キャプテンも泣かすくらいこの1年間、かなり言ってきました。でないと、智弁学園、奈良大付には勝てない」
今夏の県大会期間中も“事件”があった。
「ノック中に『こんなんで(甲子園に)行けるんか?』と。その後、コーチに『もう1回、お願いします』と言っていて、こちらとしては『ヨシ、ヨシ』です(苦笑)。青春(の1ページ)でした!!」
県大会では準決勝で智弁学園、決勝では奈良大付をともに1点差で制し、2年ぶりの甲子園出場を決めた。
自らキャプテンとして深紅の大旗を手にした31年ぶりの大舞台。中村監督は興奮を隠し切れない。
「まさか、母校のユニフォームで甲子園に戻れるとは思わなかった。プロアマ規定、関係者のご尽力もあってこの日を迎えた。感謝したい。選手のおかげでまた、甲子園で野球ができる。(試合前は)お礼の言葉を述べた後は、一歩も引かないで、強気で行くぞ! と言いました」
母校を率いる立場として、選手時代とは違う感情があるという。
「正直、選手のほうが緊張しなかった。大観衆、素晴らしい甲子園のグラウンド、そしてテレビ中継まである。当時は『こうできる!』としか考えていなかったですから。本当、楽しんでいましやよ。ただ、監督は良いことも悪いことも考えてさい配しないといけない。難しいです」
そんな空気を察知した恩師・橋本氏は「笑」の一文字を送ったとみられる。
「本来は達筆なんですけど、『笑』の文字と合うようにわざと崩して……(笑)。『ベンチが笑っていれば勝つよ!』と。監督から見ても私、そんなに怖かったんですね」
初戦(2回戦)の相手は大垣日大。甲子園通算37勝を誇る阪口慶三監督との対戦だ。「鬼の阪口」と呼ばれた名将との対戦は、感慨深いものがあった。
「(開会式リハーサル後の)監督対談で阪口先生が『思い出に残るゲームになればいい』と言われたんです。私にとっても、一生残る1試合になると思う。良い思い出を残したいです」
選手を信じた大垣日大との一戦で天理は6対0で快勝。中村監督の甲子園初さい配は、試合前に語っていたとおり、記憶に残るゲームとなった。インタビュー通路のお立ち台では、とても「鬼」とは思えない「笑」が広がっていた。
文=岡本朋祐 写真=高原由佳